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このページでは、家紋についての話をあれこれ書いていきたいと考えています。

お客様からよくあるお問い合わせに関することや、家紋を使う際の基礎的な知識、珍しい家紋のご紹介などを、少しずつ書き加えていきたいと思います。

※新しい記事が、一番上に来るようになっています。


36、2020年東京オリンピック決定!

ブエノスアイレスで行われた、IOC(国際オリンピック協会)総会において、正式に2020年オリンピックの開催地が、東京に決定しました。

2016年の開催誘致の際は、私自身、正直そんなに盛り上がらなかったのですが、なぜか今回は結構ドキドキしながら、IOC総会の実況中継を見ていました。(早起きしました。)

最終プレゼン、どなたも素晴らしかったと思います。


2020年、海外から来たお客様たちが、「日本に来てよかった、日本っていい国だな」と思ってくれるように、いろいろ頑張っていきたいですね。



35、富士山世界文化遺産登録

富士山が世界文化遺産に登録されました。

弊社はまさに富士山の御膝元、静岡県富士市にあります。

世界遺産登録が決まってから、様々なテレビ番組で、富士山周辺のグルメや見どころが取り上げられています。

自分が何したわけでもないのですが、なんだか妙に誇らしい気持ちになったりしています。


というわけで、今回は富士山の家紋について書かせていただきます。


「えっ!富士山の家紋っ? 」と思われるでしょうが、あるのですよこれが・・・。

左は「青木富士の山」と呼ばれる家紋です。

「青木氏」が多く使用していることから、この名があります。


富士山は、古くから「霊峰」と言われ、御神体として祀られてきました。

また「富士」は「不死」に通じ、「不老不死」の象徴として瑞祥紋としての意味もあったのではないかと思われます。
    青木富士の山
富士山の標高は3776mであることは皆さんもご存じでしょうが、その山体は駿河湾の海岸にまで及んでいます。

駿河湾は海岸からわずか2kmで500mの深さとなり、最深部は2500mに達する日本で最も深い海です。

その標高差は実に6200m以上と考えると、世界的にも壮大と言える地形です。
  丸に富士山に帆掛け舟
「富士山信仰」には様々な形がありますが、富士山の神霊と考えられる「浅間大神」「木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)」を祀るのが浅間神社で、富士宮に本宮があります。

富士山頂にある神社は、この「浅間神社」の「奥宮」です。

ちなみに、富士山8合目より上の登山道と測候所を除いた部分は、浅間大社の「境内」となっており、日本最高地点の「富士山剣が峰」の地主も「富士山本宮浅間大社」です。
    変わり富士霞
富士山以外のにも、「山」をモチーフにした家紋は数種類あります。

富士山のように、山頂部に火口をもつ成層火山は、鳥海山や桜島など国内にもいくつかありますが、少数派です。

富士山以外の山紋は、山頂部が丸くなっています。

富士山に霞を組み合わせたものが多いのは、山の高さをするためと、構図の美しさからでしょう。
      山に霞
富士山は「霊峰」としての瑞祥的な意味から、家紋として使われたのに対し、他の「山紋」が使われた理由は、尚武的意味かと思われます。

武田信玄の旗指物に描かれた「風林火山」で有名な、孫子の兵法である、「動かざること山の如し」で象徴される、どっしりとした不動心を表したのでしょう。
     三つ遠山
「山紋」には、山そのものを図案化した「山紋」の他に、山の形を折れた直線で、幾何図形化した「山形紋」、漢字の「山の字」を図案化した「山文字紋」、山道を図案化した「山道紋」があります。

      五つ山
実際多く使用されているのは、「山形紋」と「山文字紋」です。

「山形紋」は、単独で使用されることより、他の家紋と組み合わせて使用されることの方が多いと言えます。

また、着物の柄等に使用されることが多いことから考えて、もともと文様として発達したものが、家紋に転用されたと考えた方が自然のようです。
     三つ入山

「山形紋」はまさしくシンプルな形状ですが、巧みに組み合わせることにより、美しいバリエーションがあります。

       山形     違い山形     入り山形
      出山形     六角山形  頭合わせ三つ山形
  頭合わせ三つ山形    山形に木瓜   入山形に三つ星

醤油や味噌のメーカーには、「山(ヤマ)」がつく名称が多く、屋号に多く使用されたため、現在でも、多くの会社がトレードマークとして使用しています。

直線と、スパッと切り落としたような形状から、力強い感じの「山形紋」ですが、曲線にして折り目を増やした、「花山形」というものもあります。

      花山形     違い花山形     花山形桐

わずかな変化ですが、ずいぶんやさしい雰囲気になりますね。


文字を紋とした「字紋」の中でも、「山文字紋」はバリエーションが豊かです。

    丸に山の字     剣山の字     山の字丸
     山の字菱    三階山の字 頭合わせ光琳三つ山の字


「山道紋」は多くは使用されていない珍しい紋といえます。

「山道紋」は旗印に使用されていたものが、家紋に転じたものです。

もとは縦長の旗に、上から下へ折線模様を描き、旗印としたのでしょう。
     細輪に山道

「山紋」の使用家には、「山」の字を含む名字が多い傾向にあります。

名にちなんだ家紋と言えるでしょう。



先日、富士市内の私鉄、岳南電車の「ジャズトレイン」に乗りました。

車内にテーブルと生バンドとビールサーバーを用意して、ジャズの生演奏と生ビールが楽しめる電車です。

夕方、始発駅の岳南吉原駅から終点岳南江尾駅の間を1時間で往復し、ビールは飲み放題、おつまみは持ち込み自由という、ビール好き電車好きには、たまらない企画です。

素敵なジャズの演奏と美味しい生ビール、富士山は雲に隠れて見えませんでしたが、車窓に広がるのどかな風景で、楽しい時間を過ごすことができました。

岳南電車のホームページ http://www.fujikyu.co.jp/gakunan/home.html



富士山の世界文化遺産登録が決定してから、富士山のかっこいい写真を撮ってやろうと待ち構えているのですが、いつまで待っても姿を見せてくれません。

富士市では、せっかく富士市に来てくれた人が、雲で富士山を見ることができなかった場合、「べっぴん証明書」「男前証明書」を発行してくれます。

べっぴん証明書には「「今日は、日本一の美女である富士山があなたの姿に嫉妬し、その姿を隠してしまいました。ここにあなたがべっぴんであることを証明します」

男前証明書には「今日は、日本一の美女である富士山が恥ずかしがり、その姿を隠してしまいました。ここにあなたが男前であることを証明します」と書かれているそうです。

JR東海道新幹線新富士駅の観光案内所で、その日のスタンプを押して、無料で発行してくれます。

どのようなシチュエーションで使うのか、なかなか思い浮かびませんが・・・。



34,梅紋

我が家の梅が、満開です。


前回、「八重の桜」に関連して「桜紋」について書かせていただきました。


今回は春を感じさせるもうひとつの花、梅紋について書きたいと思います。

順番逆だよね…という突っ込みは聞こえないことにします。

前回少し触れましたが、奈良時代に編纂された「万葉集」では、「桜」より「梅」の方が多く登場します。

これが「平安時代」に編纂された「古今和歌集」では逆転するのですが、家紋の世界では現在、「梅紋」の方が、圧倒的に多く使用されています。

普段からよく使用する紋帳で調べたところ、4冊の平均記載数が、梅紋が91,7種類、桜紋が64,5種類でした。

桜の花の、あっという間に散ってしまう様子が、家紋として人気が出にくかったのが理由ではないかと推察されるのですが、逆に「梅紋」が家紋として多く使用されるになったのは、どうしてでしょうか?

文様として美しかったことが大きな要因であることは、間違いないでしょう。

梅紋が、家紋として使用されるようになった時期は、はっきりとしないようです。

もともとは、文様として多く使用されており、菅原道真公が歌に詠んで愛したといわれ、また、道真公が信仰した天満宮の神紋が梅の花であったことが、家紋として使用された理由のようです。

      梅の花
家紋として、数多くの種類が紋帳に記載されている「梅紋」ですが、実際に使用されているのは、そのほとんどが「梅鉢」です。

花弁を丸に、花芯を五角形にアレンジすると、そこに太鼓のバチと剣が現れます。

「梅の花」より力強くなり、武家に好まれたのでしょう。

また、菅原道真公ゆかりの家紋ということも、武家にとって魅力だったのかもしれません。
       梅鉢
「梅鉢」の剣を強調したものが、「剣梅鉢」です。

武家が強さを強調した家紋を好んだのと対照的に、江戸時代に使用されるようなった「女紋」では、武骨さを嫌い、優美さが強調されていきます。

「女紋」として使用する場合、「剣梅鉢」であっても「剣」をはずして「梅鉢」や「梅の花」にしたり、もっと凝って「陰梅鉢」「のぞき梅」といったものに変えて使用されました。
      剣梅鉢
「女紋」は、その家の定紋とは別に、女性が使用する紋です。

嫁ぐ際に、実家の家紋入りのお道具を持っていく、というパターンが多いのですが、「女紋」の選択基準は地方によって、いろいろあるようです。
 糸輪にのぞき八重向こう梅

使用されている「梅紋」の多くは、「梅鉢」ですが、そのほかに「梅の花」「向こう梅」「香ひ梅」「横見梅」など、様々なバリエーションがあります。

    八重梅の花 尻合せ三つ寄せ梅の花       雁梅
      白銀梅     光琳梅鉢      向こう梅
   中陰八重向こう梅    三つ割向こう梅     捻じ匂梅
      香い梅   三つ盛り香い梅     割り梅菱
     横見梅   五つ横見裏梅      箙梅
      梅桐      枝梅     梅枝丸
     星梅鉢     台梅鉢     実梅鉢
    加賀梅鉢   棒剣加賀梅鉢   花剣加賀梅鉢
     豊後梅鉢      花梅鉢      五つ梅

「梅」という素材を、華やかにアレンジしたり、力強くみせたり、先人たちのセンスには脱帽です。


ところで、NHK大河ドラマ「八重の桜」、、「山本覚馬」役の「西島秀俊」さんの肉体美が話題になり、入浴シーンなんかが増えていくんじゃないか、といわれています。

驚いたのは、我が家だけじゃなかったようです。



33,NHK大河ドラマ「八重の桜」

新年明けましておめでとうございます。


2013年のNHK大河ドラマは「八重の桜」。

   NHK大河ドラマ「八重の桜」ホームページhttp://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/

「平 清盛」の平安時代から一気に近代のお話となりました。

「八重の桜」の主人公、「山本八重」を演じるのは「綾瀬はるか」さん。

ふわっとした雰囲気が魅力の女優さんですね。

「悪妻」「会津の頑固女」「ハンサムウーマン」などと呼ばれる、「山本八重」さんをどう演じてくれるのか、楽しみです。


左の家紋は「八重桜」。実に優美でシンプル。とても美しい家紋です。
       八重桜

山本八重の実家は、会津藩 砲術師範を務める家で、家紋は「丸に隅立て四つ目」です。

・・・実はこの山本家の家紋、私自身で調べようとしたのですがよくわからず・・・。

NHKのホームページのプレビュー画像など見ても分からず、困って、大河ドラマが始まってから、何とか山本家の家紋が出てこないかと眼を凝らしていたら、あっさり八重のお兄さん「山本覚馬」が紋付きで登場し・・・そんなことをしていたので、新年のご挨拶がまさかの下旬となってしましました。

会津藩の武鑑があればわかるのですが、手元にあるわけもなく・・・。

ご先祖様に戦国武将「山本勘助」がいると聞いて、それなら「左三つ巴」かなぁ・・などと考えていたのですが・・・。NHKですから、ちゃんとした資料がやはりあったんだろうなぁと・・・反省です。

とりあえず「様々な家紋」に、「八重の桜」登場人物の家紋をアップしました。   



そこで今回は「桜紋」のお話。

なんたって「八重の桜」ですから。
         桜
私は、桜は「日本の国花」だと思っていたのですが、日本の国花というものは、法的に制定されてはいないそうです。

しかし、実際には、桜は国花のように扱われており、警察官や自衛官の階級章、また100円硬貨の裏にも、桜の花がデザインされています。

「桜紋」には大きく分けて、「桜」と「山桜」があり、どちらも多くの家紋がありますが、上記の階級章などに使用されているのは、「山桜」が多いようです。
        山桜
「八重の桜」ホームページのトップで、八重の着ている羽織にデザインされているのも、「向う山桜」です。

桜はバラ科の落葉性広葉樹で、北半球温帯に広く分布しています。
日本では、「開花予想」だの「お花見」だの、桜の花が話題になりますが、外国では、「果樹」として扱われることのほうが、多いようです。

確かに私も、「サクランボ」は大好きですが、国産は高いので、もっぱら「アメリカンチェリー」を買ってしまいます。
       向う山桜
日本でも、中国文化が色濃かった奈良時代に編纂された「万葉集」に登場する花は、「梅」が多かったのに対し、国風文化が育ってきた平安時代に編纂された「古今和歌集」では、「花」といえば、「桜」を指すようになります。

文様としての「桜」は、古くから使用されていました。
平安時代に書かれた「栄華物語」の絵巻や屏風に登場しています。

家紋としても、古くから使用されていたと考えられますが、その数はあまり多くはなかったようです。

       抱き桜
桜の花は、咲いてわずか数日で散ってしまいます。

戦国時代に入り、命がけの戦いが求められる武家にとって、この「散っていく」儚さ(はかなさ)は、家紋として受け入れられなかったのでしょう。

      変り散り桜
ところが、江戸時代に入ると俄かに「桜紋」の人気が上がっていきます。

皮肉なことに、戦乱の世では厭われた「はかなさ」が、平和な時代の武士にとっては、「死をいとわない武士の潔さ」とされたことからです。

とはいえ、やはり「桜紋」の使用家は、さほど多くありません。

しかし、「紋帳」にはかなりの数の「桜紋」が記載されています。
      八重大和桜
これは、家紋の素材として、桜がいかに魅力的だったか、ということなのだと思います。

「桜紋」の基本は、先端が丸いか、もしくは尖った五枚の花弁で構成されています。

このシンプルな構図の中に、意匠を凝らし、様々な家紋を作り上げたセンスには、驚かされます。

家紋に使用される、他の素材と同様、複数にして組み合わせたり、裏にしたり陰にしたり、他のものに見立てたり、家紋のデザイン技術が駆使されていますね。
       九曜桜
        剣桜        左近桜        細川桜
        陰桜        裏桜      光琳太陰桜
      葉敷き山桜       桜井桜        雀口桜
    葉付き三つ桜の丸      浮線綾山桜        月落桜
       雪月花     桜枝丸其の二       小山桜

やはり、華やかな印象の家紋が多いようですね。


先日放送された「八重の桜」第三話で、「山本覚馬」役の「西島秀俊」さんが、槍の試合の際、ガバッと上半身裸になった時、そのマッチョな肉体に我が家では一斉に、「オウっ!」と声が上がりました。

ソフトな印象を受ける役者さんでしたから、びっくりしました。

やはり鍛えられた肉体も、役作りの一つなのでしょうね。


最近、昔のスーツのズボンのボタン、閉められません・・・・・・。

今日から毎日、腹筋します。



32,オリンピックと星紋

7月27日に開幕した「2012ロンドンオリンピック」が、終わりました。

サッカーの予選リーグは、開幕式前の25日に始まりましたから、25日間、何度夜中に起きたでしょうか?

寝不足の日々も、良い思い出となりました。

JOC日本オリンピック委員会公式ホームページ http://www.joc.or.jp/


「オリンピックシンボル」五輪マークは、皆さんおなじみのものです。

五色の輪は、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカ、アジア、オセアニアの五大陸を表しているそうです。(どの大陸が何色か、とは決まっていないそうです。)

シンプルなマークなので、家紋にもありそうだな、と思って調べたら、ありました。

一般的な紋帳には記載されていませんが、千鹿野茂先生の「日本家紋総鑑」に、「五つ輪違い」として記載されていました。

家紋ですので、当然カラーではなくモノクロで、オリンピックシンボルと比べると、横長な感じですが、全く同じ構成と言えます。

この家紋を使用している家は、オリンピックシーズンになると他の家より盛り上がるのではないでしょうか?

     五つ輪違い

この場合、話の流れとしては「輪違い紋」について書いていくところですが、前回、「星紋」の話を書くと宣言してしまい、すでにネタ集めを始めていたので、流れを無視して「星紋」の話を書かせていただきます。

「星紋」のなかで、もっとも使用家が多いのは「三つ星に一の字」別名「渡辺星」ということになるかと思います。

「三つ星」の下に筆字の「一の字」。

外側に「丸輪」をつけたものも多く使用されています。


三つの星は、オリオン座のベルトの部分に並ぶ「ミンタカ」「アルニラム」「アルニタク」を表しています。
       渡辺星この三星は、中国では「三武」または「将軍星」と呼ばれます。
中央の「大将軍」と「右将軍」「左将軍」で、「武神」と崇められる星です。

「一の字」は「一番乗り」「一番槍」を意味し、「かつ」とも読むことから、大変尚武的な意味が強い家紋です。

「毛利家」の「長門三つ星」は「一の字」が上にきます。

尚武的な意味は同じかと思いますが、「一の字」の書体も変え、紛らわしくないよう「一に三つ星」と言ったりします。
      長門三つ星
「渡辺星」についでよく使用されている「星紋」は、「九曜」でしょうか?

「曜」は、「光り輝く」ことを意味し、この場合「星」のことを指します。

「九曜」の九つの星は、古代インドの卜占(ボクセン 占い)で使われる、月、火、水、木、金、土、日の七曜に、羅睺(らごう)、計都(けいと)を加えたものです。

この場合の七曜は、太陽系の星たちのことではなく、北斗七星を指すようです。

               九曜
「九曜」は、天体を支配する星たちで、これにより自然や人事も決まるという「星信仰」「妙見信仰」は、当時、多くの庶民や武士に、持たれていたようです。

貴族の間でも、牛車に「九曜」の文様をつけることで、呪符としていました。

つまり、お出かけの際の「お守り」です。

家紋として使用されるようになったのは、主に鎌倉時代になってからですが、シンプルで「お守り効果」も期待できるとあって、人気がありました。
               七曜
江戸時代には、大名で24家、その家臣で90余家が使用したとの記録もあります。

「星紋」で多いのは「三つ」と「九つ」ですが、その他の数で使われているも家紋もたくさんあります。

ほとんどは、中心に一つの星を置き、その周りに他の星を並べていく形式です。

一体いくつまであるかと、調べてみると「日本家紋総鑑」に、「十七曜」がありました。
             十七曜
さらに、弊社の記録を見ると、少し変則的な並べ方ですが、「十九曜」の原画がありました。

家紋屋としては、あまり星の数が多いと、描くのが大変になりますが、基本的には、丸をいっぱい書いていけばいいので、「三十曜」とか「四十曜」でなければ、まあ大丈夫、といったところです。
       十九曜

オリンピックと関係のなさそうな、「星紋」の話ですが、「オリンピックシンボル」も○、メダルも○、たくさん星をとって万々歳!ってことで・・・。

しかし、今回のオリンピック、時間帯が厳しかったにもかかわらず、かなり頑張って観てしまいました。

史上最高数のメダルを取るほど、日本選手が好成績だった、というのもあるかもしれません。

ただ、日本人選手の活躍を期待しながら見始めたのにと、他国の選手のパフォーマンスに感動したり、負けた選手とともに悔し涙を流しそうになったり、だんだんオリンピックという舞台に、魅せられていったように思えます。


やっぱり、スポーツはいいなぁ・・・って思います。

メダルを手にした選手、あと少しで届かなかった選手、力を発揮できなかった選手、皆さんお疲れさまでした。

感動をありがとうございました。


私も9月には、地区の体育祭のムカデリレーに出ます。



31,月紋の話

前回、金環日食に絡めて「日足紋」の話を書かせていただきましたが、後から考えました。

「日食とは、太陽と月が重なる天体現象・・・。月のこと、ほとんど書かなかったな・・・。」

別にここで私ゴトキが月のことを書こうと書くまいと、月が気分を害して地球に体当たりするとか、一人大宇宙に旅立つとかはないのですが、話のネタに上がったからには、無理矢理でも家紋の話につなげていかないと、なかなか書く機会がつかめず、早い話、ネタに困るのは私なのです。

というわけで、大変不純な動機且つ完全にタイミングを逸した感はありますが、「月紋」について書かせていただきます。(ヒラキナオオッテマス)

まん丸い満月は、家紋とした際に「日の丸」と見分けがつきません。
「日の丸」は皇室の家紋でありますから、紛らわしい家紋は、なかなか使いにくいことが多い。

そのためか、満月を家紋としている例は、非常に限られています。

左の家紋は「岩城檽子に月(いわきれんじにつき)」という家紋です。
「「岩城立引(いわきたてびき)」とも言われますが、中心に描かれているのは「満月」です。

     岩城檽子に月「檽子」とは粗く組まれた格子窓で、そこから見える満月を図案化しています。
鎌倉時代の武家「佐竹氏」が使用したのは、「五本骨扇に月丸」。

「日の丸扇」とどう違うのかと言えば・・・・・・。

変らないかな・・・。

しかし、同じ様には見えますが、扇の中は日の丸ではなく、「満月」なのです。

佐竹氏は、鎌倉名越の自宅に家紋を模った庭園も造ったそうです。
       佐竹扇
「黒田月に水」は、月の上を水が流れています。

空中に川は流れないので、池か湖に映った満月を、図案化したものでしょう。

何とも風流ですね。




このように、満月を家紋と使用する場合、他のモチーフと組み合わせて使用されました。
      黒田月に水

月は欠けても、やがてまた満月となることから「不老不死」「生命保全」の象徴ともいえます。

家紋として「満月」が使用しにくいためか、一見して月と分かる「三日月」が、家紋には多く使用されています。

       真向い月       月に星       月に霞

「日・太陽」が「生命力」や「活力」を思い起こさせるのに対し、月は「やすらぎ」や「静謐」を感じさせます。

戦に用いる旗印には、いささか迫力不足かもしれませんが、とても優雅で風流な家紋と言えるでしょう。



「金環日食」に乗っかって、あわてて「月紋」の話を持ってきましたが、落ち着いて考えるに、秋頃、「十五夜」にかけても良かったのかな・・・と思い返しました。      ま、いいか・・・。


そうだ、次は「星紋」の話にしよう。   ・・・って懲りてないじゃん。




30,金環日食

5月21日の月曜日、金環日食を観測された方も多いかと思います。

弊社のある静岡県富士市は、観測可能な地域の中でもかなりベストなライン上にあり、曇り空ではありましたが、時折雲が途切れる瞬間、運良く金環日食を観察することができました。

以前、皆既日食が発生した時は、生憎の雨で全く実感がありませんでしたが、今回は親子そろって、不思議な体験に、盛り上がってしまいました。

太陽は太古のより、信仰の対象でした。

生命力の源であり、力の象徴で、多くの武将は旗指物に太陽を表す「日の丸」を描きました。

当然、家紋にも多く使用されそうなものでしたが、そうはなりませんでした。
        日 月皇室が使っていたからです。

皇室の紋には、「八重十六菊」または「「五七桐」がありますが、実はそれらが使用される以前より「日月(じつげつ)」の紋を使用していました。

日月紋は同じ大きさの円を二つ並べて描いたもので、それだけでは、どちらが日でどちらが月なのか、見分けがつきません。

錦の御旗に描く際は、日を金、月を銀で描きます。

鎌倉時代、後鳥羽上皇が、衣服や様々な調度品に、菊の文様を入れて使用するようになると、朝臣たちは使用を控えるようになり、菊の文様は、上皇ご専用の紋と見られるようになります。

こうして菊紋は皇室の紋となりますが、天皇のご紋が「日月紋」であることに変わりありません。

実際、現在も皇室で使用される錦の御旗には、「日月紋」が描かれています。

      八重十六菊
「日月」のように、太陽を単に「円形」で描いた紋を、「日の丸紋」といい、放射状に光芒を添えたものを「日足(ひあし)紋」と言います。

「日の丸紋」も旗印には使用されましたが、何しろ皇室の紋ですから、家紋として、他の武家に使用されることは、あまりありませんでした。

しかし、「日足紋」は一見して他の紋であることから、「日の丸紋」に比べ、使用家は多くありました。
       八つ日足
備中足守藩は、豊臣秀吉の妻「おね」の実家である木下家から出た大名ですが、秀吉から「菊紋」を下賜された際、「畏れ多い」として、花芯部分を「三つ巴」に、花弁を「日足」に改めて使用したといいます。

確かに「日足紋」と「菊紋」は、ぱっと見て、似ていると言えなくはありません。
       木下日足

「日足紋」には、光芒が、外に向かって広がっているものと、逆に細くなっていくものがあります。

細くなっていくものを「尖り日足」と言いますが、使用家は多くありません。

     尖り十六日足      大村日足    細輪に尖り日足に水

「日の丸紋」は、その由来ももちろんですが、シンプルでよく目立つことから、戦場での「旗印」や、船に掲げる「船印」としてよく使用されました。

幕末の1854年、幕府より「日本の船は、白地に日の丸を用いて、外国船と間違われないように」というお触れが出ます。

そして5年後の1859年、「日の丸」は日本国旗に制定されるのです。


オリンピックも近づいてきました。

ロンドンの空に、少しでも多くの「日の丸」がたなびくことを、期待したいですね。



29.NKH大河ドラマ「平 清盛」

この冬は、富士山になかなか雪が積もりませんでした。

冬、富士山に雪がないと、なんだか寂しく感じてしまうのは、富士市民だからでしょうか?

年が明けて、東京に大雪が降った日、ようやく冬バージョンの富士山が登場しました。



今年の大河ドラマは、「平清盛」。主演は松山ケンイチさんです。

大河ドラマ「平清盛」ホームページ http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/index.html

いつも、本ホームページでも「様々な家紋」のページに「大河ドラマの登場人物の家紋」の欄を作るのですが、今回はなしです。

平清盛が生きたこの時代は平安時代末期、公家達は識別と自己顕示のため、自分の牛車に、有職文や好みの特定の文様を入れるようになり、それが家紋の始まりの一つと言われています。

しかし、武士という存在はまだ生まれたばかりで、家紋を使用するようになるのは、まだ先です。

「平清盛」の家紋としてよく言われるのは「揚羽蝶」です。

しかし、これは「平清盛」が使用した家紋と言うわけではなく、清盛の系統である「伊勢平氏」が、後に「蝶紋」を使用するようになった、というくらいの意味です。

蝶が家紋として使用されるようになったのは、その文様としての美しさが大きな理由でしょう。

その完成度の高いデザインは、昔から人気があったらしく、多くの武家が、様々にアレンジされた蝶紋を使用しています。
       揚羽蝶
       鎧揚羽蝶       保倉蝶      光琳揚羽蝶
       織田蝶     真向き揚羽蝶      向い揚羽蝶
      池田向い蝶     三つ追揚羽蝶     中陰光琳飛蝶
       飛揚羽蝶        浮線蝶        備前蝶
      月星浮線蝶        向い蝶        三つ蝶
       伊豆蝶      三つ飛蝶       光琳胡蝶

使用家の多くは、清盛を輩出した「伊勢平氏」を含む「桓武平氏」の系譜ですが、何しろ「蝶紋」は人気が高かったらしく、後には「清和源氏」の系譜の武家でも使用するようになっています。


「揚羽蝶」の紋は、代表的な家紋の中では珍しく、左右対称ではありません。

しかし、その構図は大変完成度の高い、優れたものです。

他のモチーフを「蝶紋」に見立てた「見立て紋」は数多く見られますが、「揚羽蝶」に見立てたものが最も多いのも、その為でしょう。

        桐蝶       澤瀉蝶       銀杏蝶
       南天蝶        柏蝶       茗荷蝶
        扇蝶       変り藤蝶        柏飛蝶
       桔梗飛蝶       飛蝶桜       飛蝶藤
       桔梗胡蝶       橘胡蝶     中陰剣片喰胡蝶

名称の規則性がおかしいのは、紋帳により名称が異なっていることが多いためです。(どの紋も、すべての紋帳に記載されているわけではないため、紋帳での名称をそのまま記載しました。)


「浮線蝶」の「浮線」とは、大きな左右対称の円形模様である「浮線綾(ふせんりょう)」のことで、これは布に文様を織り込む技法を表します。

「浮線○○」と言う名称の家紋は多くありますが、いずれも「浮線蝶」の「見立て紋」と言える文様です。

これは「浮線綾」で描かれた文様の中でも、「蝶」をモチーフした文様に人気があったためでしょう。

     浮線鷹の羽       浮線片喰        浮線菊

今回、「平清盛」という題で書き始めたのに、「蝶紋」のことばかりを書いてしまいました。


「平清盛」の登場人物は、当然のことながら着物を着ています。

この着物、時代に合った風合いを出すために、絹のものも、木綿のものも、ほとんどの着物を「ストーンウォッシュ加工」を施しているのだそうです。

「ストーンウォッシュ」とは、ジーンズなどに古着感を出すため、「石」を入れた洗濯機で洗うというもの。

これを着物に施すとは前代未聞で、この提案には、NHKの衣装部も「それはありえないいでしょう」と大笑いされた、と人物デザイン監修の柘植伊佐夫さんは話しています。

その為あってか、あまりなじみのない「平安時代末期」の雰囲気は、とてもよく出ているような気がします。


「埃っぽくてキタナイ」と、一部で苦情が出たという映像ですが、私は「かなり好き」です。



28.笑点 ~大喜利~ 噺家さんの定紋

昨年はきれいに赤く色づいた楓が、今年は異常気象や台風の影響か、何とも侘しい色になったばかりでなく、何んと新緑の葉が付いてしまいました。

近所では、桜の花も狂い咲きしており、季節感がおかしくなってしまいそうです。

先日、久しぶりにテレビで「笑点」を見ました。
確か私が子供のころからやっていたし、「今でもやっているんだぁ」と懐かしく思いました。

それもそのはずで、なんでも今年で45周年を迎える長寿番組なのだそうです。

日本テレビ  笑点web    http://www.ntv.co.jp/sho-ten/index.html

「笑点」といえば「大喜利」をすぐ、頭に思い浮かべる人が多いのではないでしょうか?

数名の落語家さんたちが、「お題」に対して機知を利かせた答えを返す、といったもので、フジテレビの「IPPONグランプリ」も同じ形式で行われています。

現在の司会者は「桂 歌丸」さん。
深緑色の紋付きを着ています。

定紋は「丸に木瓜」。

「笑点」開始の時から「大喜利」のメンバーを務め、現在は六代目司会者、いわば「ミスター大喜利」。

今年で「噺家生活60周年」だそうです。
       丸に木瓜
歌丸師匠の隣りは「三遊亭小遊三」さん。
水色の紋付きで、定紋は「高崎扇」です。

少しワルい雰囲気が持ち味ですが、以外にも体育会系だそうです。

高校、中学と卓球部に所属し、世界ベテラン卓球選手権大会にも数回出場する腕前とのこと。

東京と長野、二つのオリンピックの聖火ランナーも務めたことがあるそうです。
        高崎扇
小遊三さんのお隣は、三遊亭好楽さん。ピンクの紋付きです。

一門の定紋は「三つ組み合橘」ですが、圓楽さんとかぶってしまうため、笑点では「八角持ちに片喰」の定紋を付けています。

かなり豪快な性格のようで、ご本人いわく「23回破門された」そうですが、時間がたつとなし崩し的に、復帰が認められていたそうです。
     八角持ちに片喰
好楽さんのお隣の林家木久扇さんで、黄色の紋付きに定紋の「中陰光琳蔦」を付けています。

「喜久蔵」さんの名前のがずいぶん長かったため、「木久扇」さんといってもいまだにピンときませんが、笑点ではずっと「キクチャン」と呼ばれていますね。

いまだに元気でお若いのですが、実は歌丸さんと一つ違いの74歳といいますから驚きです。
      中陰光琳蔦
木久扇さんのお隣は、眼鏡が似合う春風亭昇太さん。銀色の紋付きで、定紋は「五瓜唐花」。

昇太さんは、弊社のある富士市のお隣、静岡市清水区の出身です。

まだ独身であることから、笑点でよくその事をネタにされていましたが、50歳の大台にのってから、ご本人いわく「シャレにならなくなって」しまったそうです。
      五瓜唐花
昇太さんのお隣、一番左に座るのは三遊亭圓楽さん。紫の紋付きに、定紋「三つ組み合橘」を付けています。

現在の圓楽さんは6代目ですが、5代目圓楽さんは長く笑点の司会をしていました。
6代目圓楽さんも「楽太郎さん」といった方が、すぐ顔が思い浮かぶ人も多いかもしれません。

青山学院大学法学部卒、IQは170といいますからスゴイですね。
    三つ組み合橘
圓楽さんのお隣は、オレンジ色の紋付きに「花菱」の定紋を付けた「林家たい平」さん。

武蔵野美術大学 造形学部卒という異色の経歴の持ち主で、昭和64年12月6日生まれ、大喜利メンバーの中では最年少となります。

現在、武蔵野美術大学の客員教授も務めているそうです。
        花 菱
布団運びの掛かりは山田隆夫さん。赤い紋付きで、「剣片喰」を付けています。

元「ずうとるび」と言っても、若い方は知らないかもしれませんが、NHK紅白歌合戦に出たこともあるグループです。

実は、落語の修業もしていて「鈴々舎鈴丸」という名前も持っているのですが、まだ前座にもなっていないため、本名で出演しているそうです。

プロボクサーのライセンスも取得しているというのも意外な感じがしますね。
       剣片喰
「丸に左三階松」。
これは先日亡くなった立川談志さんの定紋です。

ご存知の方は多いでしょうが、立川談志さんは初代の笑点大喜利の司会者です。

ルール作りから携わったとのことですから、言ってみれば「大喜利」の生みの親と言っていいのでしょうね。

ご冥福をお祈りします。
    丸に左三階松

ところで、「大喜利」で噺家の皆さんが着ている派手な紋付き。

元は、テレビのカラー放送用に、色調を調節しやすくするためだったとか。

普段の高座では、もっと地味な着物を着るそうです。




27.なでしこJAPAN!

女子サッカーワールドカップ2011優勝っ!

なでしこJAPANがやりましたっ。

本当は、全く違う内容の記事を、書きかけていたのですが、それどころじゃありません。

幸い祝日の未明でしたので、頑張って起きて、しっかり見ることができました。いやぁいい試合でした。

こんな時に、撫子の家紋の話をしないで、いつしようと言うのでしょう。

というわけで、今回は「撫子(なでしこ)」のお話です。

撫子と言われる花にもいろいろと種類がありますが、主に家紋に使用されているのは「大和撫子(やまとなでしこ)」と「「石竹(せきちく)」です。

家紋で「撫子」というと「大和撫子」を指します。

「大和撫子」は別名「河原撫子(かわらなでしこ)」とも呼ばれ、山や河原に自生しています。

「なでしこ」の名称は「子のように撫でたくなるかわいい花」からきていると言われます。
        撫 子大和撫子 写真 http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/nadesiko.html

「石竹」は別名「唐撫子(からなでしこ)」とも呼ばれ、その名の通り、大陸から観賞用として渡来しました。漢名は「瞿麦(くばく)」と言います。

「大和撫子」に比べ、花弁にある切り込みが浅いので、実物でははっきりと「大和撫子」との違いがわかります。

日本に入ってきたのは、平安時代と言われ、観賞用として、品種改良も盛んに行われました。

家紋としては、「撫子」に比べ、花弁の外縁が円に沿っていますが、紋帳によっては、ほとんどその差がないものもあります。
        石  竹石竹 写真 http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/sekitiku.html
「江戸撫子」紋は、「撫子」紋よりさらに花弁が尖っています。

「江戸撫子」は、「平安紋鑑」に記載されていますが、「尖り撫子」の名称で記載されている書籍もあります。

撫子には、「大和撫子」「石竹」以外にも、数多くの種類があるので、他の「撫子」を図案化したものなのか、どうかはわかりません。
      江戸撫子
また、紋典という紋帳には、「変わり撫子(岩菲がんぴ)」という家紋も記載されています。

「撫子」紋は一つの花弁に、七つのギザギザがありますが、これはより、花弁のギザギザが二つ少なくなっています。

「岩菲」は中国原産の撫子科の花で、別名「剪春羅(せんしゅんら)」とも呼ばれます。

花の形はむしろ、石竹に似ています。

岩菲 写真 http://soborin.exblog.jp/11261204/
    変わり撫子(岩菲)
撫子の家紋の武将と言うと、美濃の「斎藤道三」が有名です。

猛将と恐れられた斎藤道三に、優しげな「撫子」は不似合いな気もします。

斎藤氏の先祖は、代々伊勢神宮の斎宮頭であり、霊意が強いと言われる撫子の花は、神仏への手向けの花として、よく使われた事から、神社関係者に家紋として、使用されたのでしょう。

「撫子紋」は現在も、「斉藤家」の家紋として、多く使用されています。
      撫子枝丸
また、撫子紋の使用家としては、「秋月家」があり、「秋月撫子」が有名です。

三つ盛りとなった「撫子」は、まるで群生している様子が、目に浮かぶようで、なんとも風流です。


撫子は、薬草としても用いられ、種子は、利尿剤、通経剤としての効能があるそうです。
      秋月撫子
撫子の花言葉は、「純愛」「大胆」「勇敢」。

日本女性の代名詞となっているのですから、「しとやかさ」や「奥ゆかしさ」を感じさせる言葉かと思いきや、以外にたくましい花ことばです。

やはり、そのくらいの強さがなければ、世界一にはなかなかなれるものではないでしょう。

でも、帰国後、いろいろなテレビに出演したり、様々な裏話を聞くと、新しい日本の女性の美しさを感じさせました。

撫子は、秋の七草の一つでもあります。
   糸輪にのぞき撫子

秋以降、「なでしこリーグ」が、一過性の盛り上げりで終わることなく、元気に活躍できるよう、応援したいと思います。


そして、チョッと欲張ったことを言わせてもらえば、2012年ロンドンオリンピックでもきれいなメダルが取れたらいいな、とも思います。




26.地震

3月11日、事務所2階で立って作業をしていると、あまり経験したことのない違和感を感じました。

これは「めまい」か?

それくらい、ゆっくりしたストロークで、幅の広い揺れでした。


すぐにラジオや携帯電話のワンセグで、状況を確認し、東北地方を震源とした地震であることが分かりました。

しかし、あの揺れが、このように恐ろしい災害の余波であるとは、想像もできませんでした。


被災された方々に、心からお見舞い申し上げます。

そして、私ができることは何かをよく考え、行動していきたいと思います。



25.蔵開き

わが社のある富士市のお隣、富士宮市にはお酒の蔵元が4つもあります。

美味しくて豊富な、富士山の伏流水が、美味しいお酒を造るのに適しているのでしょう。


その蔵元のうちの二つが、私の妻の実家のある、上野地区というところにあり、2月6日、蔵開きが行われました。

富士宮市観光協会 日本一の蔵開きHP http://www.fujinomiya.gr.jp/special/kurabiraki2011.html

しばらく、妻の実家にも顔を出していなかったので、一族郎党そろって出かけてみました。

「上野の里まつり2011 酒蔵めぐり」として、昨年から二社と地区合同のイベントととして、行われています。

まず、「牧野酒造」さんに行ってみました。
牧野酒造さんHP 
http://www.makino-shuzo.com/

沢山の人で、大変な賑わいです。 
門をくぐると、蔵元の玄関で試飲用のプラスティックの小さなカップをくれます。

玄関の上の軒先には、蔵元の象徴ともいえる「杉玉(酒林・さかばやし)」が吊るされています。
この「杉玉」は、杉の葉を集めてボール状にしたもので、新酒の「搾り(しぼり)」を始めたことを知らせる役割があります。

吊るされたばかりの「杉玉」は、青々としていますが、次第に枯れて、茶色がかってきます。

この色の変化で、新酒の熟成具合を、人は知ることができます。
無料試飲のコーナーもあり、新酒の樽酒をいただくことができます。

さわやかな飲み口の新酒は、大変おいしかったのですが、同じく無料で振舞われていた甘酒も、「さすが蔵元で出す甘酒だなー」と思わせる美味しさで、妻は早速、酒粕を購入していました。

敷地内には、静岡おでんや富士宮焼きそば、特産のニジマスなどの屋台が沢山設置されており、その場で食べることもできます。
もちろんお酒も、大吟醸から濁り酒まで、有料試飲や販売コーナーがあるので、飲兵衛には至福の時間となります。
もうひとつの蔵元、「富士正酒造」さんまでは、わずか800mほどしか離れていません。

のんびりした田舎道を、富士山を眺めながら歩くのは、とても気持ちがいいものです。

富士正酒造さんHP 
http://www.fujimasa-sake.com 
「富士正酒造」さんも、たいへんにぎやかです。

こちらも初めに、受付で試飲用のカップを戴いて、奥に進みます。
やはり、新酒と甘酒が、無料で振舞われます。

こちらの新酒は、コクと旨みが強く、「牧野酒造」さんの新酒とは違うおいしさでした。

また、ここの甘酒も大変おいしくて、何んと妻は、ここでも酒粕を購入していました。
奥に見えるナマコ壁の蔵とステンレスのタンクが、対照的で、ふしぎな感じがします。



こちらでも、様々な美味しいものが販売されています。
一度食べてみたかった「しらすコロッケ」もあり、早速購入試食してみました。

私の地元である、田子浦漁協が開発商品化した物で、生臭さは微塵も感じられず、とてもおいしかったです。

明るいうちから飲むお酒は、美味しくて、しかもよくマワリます。

いい気持ちで妻の実家に戻り、B級グルメグランプリ二連覇の「富士宮焼きそば」と、富士市吉原商店街で売り出し中の「つけナポリタン」を食べました。


・・・・・・・と、今回は全く家紋の話が出てきていませんので、最後にお酒に関わりのある家紋を二つばかり。

「瓶子(へいじ・へいし)」とは、水やお酒などを入れる焼き物のビンのことですが、家紋となっている物は、神供用の酒器です。

袋で包まれているので、「袋紋」と似ていますが、縦長で底が平らになっているので、容易に区別はつきます。

神社関係者が多く、使用したと言われます。
       並び瓶子
「盃」とも「杯」とも書きますが、「酒(さけ)」を注(つ)ぐ「器(き)」から「さかづき」と言います。

奈良時代に、貴族の間で始まった「曲水の宴(ごくすいのえん)」という、風流な遊びから、家紋に取り入れられるようになったと、言われており、瑞祥的意味から使用された、とされますが、そのお趣深い形状も、大きな理由でしょう。
      三つ重ね盃

酒飲みの憧れの一つに、「息子(娘)が大きくなったら、一緒に一杯やる」というのがよく言われます。


我が家の場合、息子も娘も、「早く二十歳になって、飲兵衛になりたい・・・・」などと、どうやら本気で言っているので、今から戦々恐々としています。


そうでなくても、我が家の家計は、エンゲル係数高めなのですから・・・。




24.NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」

今年のNHK大河ドラマは、織田信長の姪で、2代将軍・秀忠の妻、3代将軍・家光の母となる、「江」が主人公です。

主演は上野樹里さん。

「スイングガールス」や「のだめカンタービレ」のハジケタ演技が話題になりがちですが、私としては、性同一性障害に悩む女性を演じたTVドラマ「ラストフレンズ」がとても印象的でした。


「江~姫たちの戦国」公式HP http://www9.nhk.or.jp/go/about/index.html
     社屋横のロウ梅

大河ドラマは毎年、家族もみな楽しみにしていて、なるべくそろって観るのですが、今年はなかなかリアルタイムで観ることができず、録画を後から観て、ようやく4話目に追いつきました。

今のところ、我が家の(女性陣の)話題は「トヨエツの信長がカッコいい」ということになります。

 

確かにカッコイイ・・・。


織田信長は、今までいろいろな役者さんが演じてきましたが、また新しい信長像と言えそうです。

織田信長の家紋というと「織田瓜(おだうり)」が有名です。

信長はほかにも、「永楽銭」や「引き両紋」も用いたようで、ドラマの中にも、これらの紋は度々登場します。

この「織田瓜」。

「織田木瓜(おだもっこう)」または「五つ木瓜」とも呼ばれることがあり、「木瓜紋」のバリエーションの一つとも言えますが、紋帳では、「瓜(か)」の項目に、「五瓜唐花(ごかからはな)」など共に記載されています。
      織田瓜そもそも、「瓜」は「木瓜」の外周の文様を意味します。
「木瓜」の由来は諸説ありますが、大陸から伝わった「か(穴かんむりに果の字)」という模様が原型である、という説が最も有力とされています。

これは、鳥が地上に作る巣をモチーフにしている、と言われています。

この「か模様」は、平安時代後期、徳大寺家が好んで車や衣装に用いたとされており、「徳大寺木瓜」が、その模様に近いものであると考えられます。
    徳大寺木瓜中に花が散りばめられており、とても華やかな家紋です。
神社の御簾(みす)の縁取りである「帽額(もこう)」に、この「か模様」がよくつかわれたことから、「もこう」と呼ばれるようになり、「木瓜」の当て字が使われるようになった、と言うわけです。

紋帳では、四弁の場合を「四方木瓜」、五弁の場合を「五瓜唐花」と違う種類のように分類しています。

しかし、「唐花」も、実在の花をモチーフにしているわけではなく、大陸伝来の模様からきているものですから、「木瓜紋」も「五瓜唐花紋」も、同系列の家紋と言えます。
    四方木瓜
「五瓜唐花」と「織田瓜」を比べると、「織田瓜」の方が周りの「瓜」が丸く、中の唐花も、太い線で描かれています。

家紋の構成自体は同じで、その違いは「曖昧」とも言えます。

しかしながら、あえて「織田瓜」と「五瓜唐花」を区別するのは、「織田信長」という稀代の武将への、畏怖と敬意の表れかもしれません。
    五瓜唐花
「木瓜」は、家紋の中でも大変美しい、完成度の高い家紋と言えます。

普通、「木瓜」と言えば横に長い「横木瓜」を指ます。

使用家も多く、家紋の代表選手、といった感じです。

大陸から伝来した「か模様」は、長い時間をかけ、日本固有の家紋「木瓜」へと進化したのです。

織田信長役の豊川悦司さん。

役柄上、家臣に一方的な暴力を加えるシーンが多いのですが、インタビューの中で、

岸谷さん(豊臣秀吉)は別に殴ろうが蹴ろうがいいんだけど(笑)市村さん(明智光秀)は嫌でしたねぇ・・

というようなことおっしゃっていました。市村さんは「何やってもいいよ」と言ってくれたそうですが。

俳優さんも、やっぱりそういうこと、気にするんですね。




23.お正月と家紋


前回、秋の話題で書き始めたにもかかわらず、アップロードしたころには、完全に冬の寒さでした。

そこで、今回は少し早めに、お正月の話で書きたいと思います。

我が家では、毎年、年末に親戚が集まり、餅つきをします。

我が家で使用する杵は、木槌のお化けのような形ですが、家紋にあるのは、兎が月で使っているような「手杵」と呼ばれるタイプです。

今でこそ、滅多に見かけませんが、昔は、餅以外に、あらゆる穀物をつき砕くのに使われる、農家の必需品でした。

紋帳には、5~6種類の杵紋が記載されています。
      三つ並び杵

お正月に絡めた、家紋の話を書こうと、あれこれ紋帳を眺めていたのですが、上記の「杵紋」以外は、不思議と珍しい家紋ばかりとなりました。

なにやら、コジツケッポイものもあるかもしれませんが、広い心で、受け止めてください。

お正月には、玄関や神棚に「注連縄(しめなわ)」を飾ります。

「注連縄紋」は、紋帳には記載されていませんが、千鹿野茂先生の「日本家紋総鑑」に4種類、紹介されています。

家紋として使用されたのは、比較的新しい時代で、主に神官など、神社に関わりのある人が、使用したようです。
   輪注連縄(わしめなわ)
年が明けると我が家でも、近くのお宮に、「初詣」に出かけます。

不信心でグウタラな私は、「寒いからイヤダヨ」と抵抗するのですが、子供たちに無理やり、引っ張り出されます。

こういう機会でなければ、夜中に外に出られる事など、ないからでしょう。

仕方なく連れていくのですが、暖かい「お神酒」を振舞われると、とてもハッピーになります。
      玉垣鳥居
「船紋」は数種類、紋帳に記載されています。

家紋としての歴史は古く、もとは海事関係者が使用したものだったようですが、「名和氏」が「後醍醐天皇」から下賜されたり、戦国時代は「長曾我部氏」が使用したりしいます。

この「宝船」は、松を積んでいますが、何かいかにも「お宝っぽいもの」を積んだ「宝船」の紋もあります。
       宝船
「獅子頭」は、動物としての「獅子紋」ではありません。

お正月などにまわってくる「獅子舞」の頭部を家紋にしたものです。


「獅子頭」は悪霊払いに用いられる、大変神聖なものとして、扱われました。

リアルな図案な為、かえってどこかユーモラスな雰囲気が、私は好きです。
     獅子頭
お正月の遊びのひとつ、「羽根つき」。

私も子供の頃やりましたが、「負けると顔に墨を塗られる」というルールは採用されませんでした。

きっと親たちが、服が汚れるのを嫌って、禁止したのでしょう。
今でも、「昔やっておきたかった事」の一つで、少し残念な気がします。

「羽根つき」は、室町時代に流行した、という記録があるほど歴史のある遊びです。
    違い羽子板
一説には、「羽根つき」はもともと勝敗を争う競技ではなく、羽根をトンボに見立て、病気を媒介する虫を退治するために、お互いの無病息災を祈りながら、長く打ち続ける(空中に飛ばせておく)「厄払い」だったとの事です。

墨を塗るのも、魔よけの意味がある、とも言われています。

羽根は、「ムロクジ」の実に、鳥の羽根を3~6本付けて、作られています。
      三つ羽根
私が子供のころは、金属製の「ベイゴマ」で遊びましたが、数年前、息子は「ベイブレード」というハイテク独楽に、夢中になりました。

当時、一個数百円程度の玩具でしたが、様々なギミックが仕込まれており、なかなか侮れないものでした。(実は、親の私の方が、結構ハマってしまいました。)

「ベイブレード」は、今でも大人気だそうです。

「独楽」は、平安時代に中国から伝来したと言われています。
      紐付独楽

最近、運動不足は甚だしく、腹回りも弾力が出てきたので、お正月は久々に「羽根つき」でもやってみましょうか?

羽子板や羽根は、まだ玩具屋さんに売っているのでしょうか?

そういえば、近頃めっきり見なくなったようです。

もし買うことができて、「羽根つき」できるようなら、思い切って「顔に墨」のルールも採用しましょうか。



でも、おそらく子どもたちはもう、つきあってはくれないだろうなぁ・・・。もう大きいし・・・。



22.果物の家紋

社屋横にある楓の木が、ここ数日の間に、一気にに色づきました。

急に冷え込んだからでしょう。

今年は、あまり鮮やかな紅葉(こうよう)はないものと思っていましたから、思いがけない鮮やかな赤に、季節を感じました。


日本には四季があります。

厳密な意味で言えば、どの国にも四季はあるのですが・・・。

日本は季節の差が大きく、その移り変わりは、私たちの生活に大きく影響をあたえます。

春の新緑、夏の水辺、秋の紅葉、冬の雪。

1年間、様々な美しい景色を見る事のできるのは、何とも贅沢なことだと思います。


正直言うと、私の場合、秋といえば「食欲の秋」となります。


「秋刀魚」「栗」「キノコ」(残念ながら松茸というものを我が家では見かけません。今年は豊作だと聞いたんですが・・・)

そしていろいろな種類の果物も、出回ってきます。

葡萄は今の時期、果物売り場に、いろいろな種類を見かけます。

正倉院や薬師寺などの宝物には、「葡萄唐草文様(ぶどうからくさもんよう)」という文様が見られることから、文様としての「葡萄(ぶどう)」は、古くから日本に伝わっていたようです。

果物としては、鎌倉時代に伝わったようですが、家紋して使用されたのは、形の美しさ、面白さからでしょう。

あまり実際に目にすることはありませんが、紋帳には数種類の家紋が、記載されています。
      下り葡萄
子供のころ、「柘榴は人肉の味がする」と教えられ、何とも怖い思いをしました。

それが本当かどうかはわかりませんが、「鬼子母神」が赤ん坊を食べたくなった時、仏陀が「柘榴」を与えた、と言います。

鬼子母神はその後、「子守の神」となり、柘榴紋を用いるようになります。
     柘榴(ざくろ)
秋の代表的な果物の一つ、「柿」。

18.「もう一度龍馬伝」でも書かせていただきましたが、現在家紋として使われているのは、大変珍しい家紋です。

我が家にも、柿の木があるのですが、娘に教えられて、初めて柿の花が「四弁」であることを知りました。

ちなみに我が家の柿の木は「渋柿」です。
       柿の花
橘が果物?と思われるかもしれませんが、橘は柑橘系の果実の原種と言われます。

白く咲く花も美しいのですが、家紋に使われるのは、実と葉の部分がほとんどです。

現在、「橘」と呼ばれている品種は、とても酸っぱくて食べられないそうですが、古来は食用としていたようですので、今のものとは違う品種なのかもしれません。

       枝橘

もちろん秋の果物以外にも、家紋には、様々な果実が登場します。

「古事記」には、イザナギノミコトが「桃」で悪鬼を追い払ったという話が載っています。

また、「桃」は長寿、延命の果物とも言われており、「桃太郎伝説」などから、「必勝」「幸運」の果実ともされています。

家紋には実だけのものと、葉と実の両方が描かれたものがありますが、シンプルな形ながら、一目で「桃」とわかるのが面白いです。
      葉敷き桃
「真桑瓜(まくわうり)」は、日本のメロンといったところでしょうか?

スーパーで売っているのを見かける機会も、あまりありませんが、夏の暑い盛りに、冷やして食べると、さっぱりしていて、なかなかおいしいそうです。(実は、私は食べた記憶がありません。)

家紋としては、古い時代から使用されていた記録があります。
      蔓真桑瓜
実の形が、楽器の「琵琶(びわ)」に似ているので、その名があると言います。

我が家にも木があり、毎年小ぶりの実を付けるのを、楽しみにしていますが、食べると種が大きいので、いつも少しだけ物足りない気持ちにさせられます。

端午の節句に用いられるのは、厄払いとしてだそうです。

家紋としては、使用家は少なく、珍しい家紋と言えます。
       枇杷

果樹が家紋として使用されるのは、尚美的、瑞祥的意味が大きいようです。

華麗な花々に比べると、派手さはないものの、とても身近で、何かほっとさせてくれる家紋が多いように感じます。


季節的な写真を載せようと、紅葉をデジカメで撮影していたところ、とても美しい赤富士になりました。

富士山のふもとに暮らしていても、きれいな赤富士はなかなかお目にかかれません。

西の空は、きれいな夕焼けで、風もなかったためか、何本もの飛行機雲が、ぼやけながらも残っていました。

秋の果物もいいですが、秋の夕暮れは、「ヤッパリニホンイウマレテヨカッタナ~」と思わせてくれますね。


21.海老蔵さんと真央さん

7月29日、市川海老蔵さんと小林真央さんの結婚式と披露宴がとりおこなわれました。

芸能人も「地味婚」が多い中、1000人も集まったという披露宴は、久々にテレビをににぎわかす華やかなニュースとなっていました。

また、あまり目にする機会のない、仏式の結婚式も興味深いものでしたが、その際、海老蔵さんが来ていた紋付きの家紋が何度かテレビに映し出されました。

「杏葉牡丹」という家紋です。

「杏葉」というのは、馬につける革製や金属製のアクセサリーで、「牡丹」は言うまでもなく、はなやかで美しい花。

しかし「杏葉牡丹」という花はありません。

これはいわゆる「見立て」で、牡丹の家紋の図柄を、「杏葉風」にアレンジした家紋なのです。

「杏葉紋」は一見、「茗荷紋」に似ており、紋帳によっては「茗荷
      杏葉牡丹紋」の項目に、記載されていますが、本来は全く別物です。
      抱き杏葉      抱き茗荷      抱き牡丹

牡丹の家紋は、関白であった「近衛家」が使用しており、「菊紋」「葵紋」「桐紋」に次いで権威があり、使用も制限されていました。

また、「近衛牡丹」は、近衛家から京都東本願寺へ、子女が何度か嫁いだことから、「真宗大谷派」の宗紋として使用されています。

市川海老蔵さんの屋号は「成田屋」と言い、その「定紋」は「三つ枡」とのことですから、「杏葉牡丹」は、海老蔵さんの本名である「堀越家」の家紋なのかもしれません。

真央さんの家紋はわかりませんでした。


でも、きれいでした。


あれだけきれいだと、家紋なんてどうでもいいです。ハイ。
    三つ入れ子枡

最近、テレビで市川海老蔵さんを見ると、フジテレビのバラエティ番組「SMAP&SMAP」に登場する「市川カニ蔵」さんを思い出してしまい・・・どちらがオリジナルか、忘れそうで・・・ウ~ン似てます。



20.家紋と気象

私はなぜか、エアコンをつけてしまうと、「…負けた・・・」と思ってしまいます。

誰かと勝負しているわけではないのですが・・・。

ですから、家族が部屋にいないときは、なるべく網戸と扇風機に頼るようにしているのですが、さすがに蒸し暑い最近は、我が家で飼っている「長毛タイプの小型犬」が、少しでも涼しい廊下に寝そべって、時折恨めしそうにこちらをチラ見するので、「仕方ないなぁ」と犬のせいにして、「連敗か・・・」とリモコンに手を伸ばしてしまします。

梅雨というのは、苦手です。

週間天気予報を見ても、傘マークと雲マークが並んでいるばかりで、何んともすっきりしません。


家紋にも、傘はあります。

「傘」というと柄のついた「唐傘(カラカサ)」となり、「笠」となると頭にかぶる「笠」をいいます。
      三本開き傘
「唐傘」はその名の通り、大陸から渡来したものとされていますが、「かさ」の語源はいずれも「指しかけて陰にする…翳(かざ)す」からきています。

「傘紋」は、形が写実的なのにユニークな感じがして興味深いのですが、家紋として使用されているのは、圧倒的に「笠紋」の方が多く、バリエーションも豊かといえます。

また、「笠紋」の中でも多いのは、「市女笠」を写実的に描いたものと、デザイン化した「房付き笠」です。
いずれも、笹竹と組み合わされることが多いのも、特徴といえます。
      房付き笠

「雨」の家紋はありませんが、「雪」はあります。

家紋としては、「雪」単体で使用されるというより、美しい外周のラインのみを他の家紋と組み合わせ、「雪輪」として使われます。

「様々な家紋」  http://www.kamon.ecweb.jp/2801.html

硬派な雰囲気な家紋でも、「雪輪」と組み合わせると、不思議に優雅な雰囲気を醸し出します。
        雪

紋帳に記載されている「雪紋」は意外にたくさんありますが、いずれも六角を基本に、美しい形をしています。

       初雪       氷柱雪       雪花

雪の結晶は古来から、自然の造形の妙を、人に感じさせたのでしょう。


家紋に登場する気象現象には、他にもあります。

       一つ雲       雲に剣       春霞
     角立て稲妻     十二日足車       旭光

雲や霞は、誰が見ても「なるほど・・・」という感じですが、「稲妻」は「?・・・」となるかもしれません。

これは、稲妻を図案化したというより、元々あった渦巻き文様を「稲妻」に見立てて名前を付けた、と解釈した方がよいでしょう。

「日足」は太陽から日光がさしている様子を図案化したもので、日本軍の旭日旗の元となりました。

「旭光」は紋帳に載ってはいますが、新しいデザインと言えます。


先ほど、「雨」の家紋はない・・・と書きましたが、「雨龍」という家紋はあります。

「雨龍」は「龍紋」に分類されています。

龍の姿を詳細に描いた「龍紋」は、多く使用されている家紋ではありませんが、家紋を書く方からすると、なかなか厄介な家紋ではあります。

何しろ、うろこを一枚ずつ書かねばならず、途中で何度も手首をプルプルさせ、首をコキコキさせながら書いていきます。

それに比べると、「雨龍」は驚くほどシンプルにデザイン化されています。
      龍の丸
龍は「水精」とされていることが多いので、雨と組み合わせることは特に違和感を感じないのですが、「雨龍」となると手足も角も、液体化してしまっており、「タテガミ」と「目鼻」がようやく、「龍」の面影を残しています。

しかし、「雨龍紋」はバリエーションも多く、大変すぐれたデザインと言えます。
      雨龍

本当は、「サッカーのワールドカップに絡めて、家紋の話ができれば・・・」と思っていたのですが・・・。

4年前に、日本代表のエンブレムについて書かせていただきましたが、今回はどうにも浮かびませんでした。

サッカー・・・蹴鞠・・・鞠挟み・・・そこから話を進めることができそうもなく、断念しました。

しかし、一次リーグ突破、ベスト16。  素晴らしい成績だと思います。ウンウンヨクヤッタ。

寝不足な日々もまた、いい思い出となりました。




19.家紋の中の「鳥たち」②

前にも書きましたが、弊社の周辺には、まだ水田が多く残っています。

5月中旬、田植えが済んで間もないころは頼りなかった苗が、日を追うごとに緑を増して、たくましくなっていきます。

そうすると、道路をのんびり横断しては、自動車の通行を妨害していたカモ達が、子供たちを連れて、水田の中を泳ぎ始めます。

水に囲まれた水田の中は、猫などにも襲われる危険のない、安全地帯なのでしょうが、子ガモ隊は、親から離れることなく、水中に顔を突っ込み、何かを探しています。

田舎ならではの、のんびりした風景です。

 

家紋に使用される鳥について、一度書かせていただきましたが、その時表題に「家紋の中の『鳥たち』①」としてしまったため、②も書かねばなぁ・・・と思っていました。

①では、鷹紋について書かせていただきましたが、今回は「カモ」・・……とはなりません。

家紋の中に「鴨(カモ)」の名称は出てきません。

「雁金(かりがね)」は「雁(がん)」のこととされますが、同時に水鳥の総称としても使用されることが多いため、鴨は雁金紋に含まれている、と考えられます。

多くの雁金紋は、首が無く、寸詰まりで、鴨やガンが空を飛ぶ姿とはずいぶん違うようですが、これは「遠雁」(遠くを飛ぶ雁の姿)という図柄に分類されます。

これとは別に、「飛雁」(近くで見る、雁が飛ぶ自然な姿)という図
     五つ雁金車柄もあり、これには具象的な雁の姿が描かれています。
鳥の家紋は、一羽の物だけでなく、複数の鳥が使われているものも多いのですが、それでも、向かい合わせに二羽、といったものがほとんどなのに比べ、雁紋には、三羽以上のものも、多く見られます。

また、二羽のものも、向かい合わせではなく、縦に重ねたり、丸く並べたり、バリエーション豊かです。

これはやはり、連なって飛ぶ姿が、古来の人々にも、印象的だったからでしょう。
      三羽飛雁「遠雁」、「飛雁」のほかに、雁金紋には「結雁」があります。
「結雁」は、以前このページでも書いた、「篤姫」の登場人物、「肝付尚五郎」の家紋にも登場した、「結び雁金」のことです。

家紋における「結び」という変形の手法は、他にも「柏紋」や「釜敷紋」など、様々な家紋に使われています。

器用な日本人は、「結ぶ」のが得意で、実用的な結び方のほか、装飾的な「水引」や和服の「帯」など、複雑で優美な結び方を、考え、使用してきました。
  頭合わせ三結び雁金「宝結び紋」や「総角(あげまき)紋」など、結びそのものが家紋となっているものもあります。
   丸に総角    宝結び   丸に結び柏糸輪に結び四つ目  五つ結び釜敷

話を「雁金紋」に戻します。

「雁金」が家紋として使用されたのは、中国の故事に倣って、雁が、「幸せを運ぶ鳥」とされていた事、そして何より、飛ぶ姿が美しかったことが理由でしょう。

「源平盛衰記」に、土佐坊昌俊が、「二文字に雁」の旗印を使用した、との記述もあることから、歴史の古い家紋であることが分かります。

有名どころの武将でいうなら、柴田勝家が「丸に二つ雁金」を使用していますし、「真田銭」の家紋が有名な真田氏も、平和な時期には「雁金紋」を替え紋として、使用したようです。

子供のころ、「かもとり権兵衛」という童話を読みました。

詳しい内容まで覚えてはいませんが、罠にかかった99羽のカモにひきずられて、権兵衛さんが空を飛んでしまうシーンは、子供心にワクワクしたものでした。

大人になった今、それと同じ状況は遠慮しますが、パラグライダーはやってみたいなぁ・・・と思います。



18.もう一度「龍馬伝」

しばらく、新しい内容を書かなかったところ、いつの間にかゴールデンウィークに突入っ!という季節になってしまいました。

前回、新年のご挨拶から始まっているので、4か月近くも書き足していなかったことになります。

ホームページ全体としては、「家紋額」の写真を入れ替えたり(額の仕様が一部変わりました)、あちらこちらの細部を訂正したりしていたので、全く更新していなかったわけではないのですが、もっと頻繁に、内容を充実させていかなければなぁと、反省しております。

そこで、またも「龍馬伝」。

他のネタが、全くないわけではないのですが、やはりNHKの大河ドラマですから・・・。

左は、「丸に柿の花」、武市半平太の家紋です。

この家紋は、資料を元に私が描いたものですが、NHK大河ドラマ「龍馬伝」で武市が着物に付けている家紋は、もう少し中の黒い十文字が太く大きく、周りの白い部分が細めになっているようです。
 丸に柿の花(武市半平太)柿紋を使用している家は、大変少なく、紋帳にもほとんど載ってい
ません。
紋帳に載っている「柿の花」は左のものです。

いろいろな資料を見ても、武市の家紋は左の「柿の花」とはどうも違うようなのですが、家紋の図柄としては、いまいち曖昧なのです。

おそらく、武市半平太の家紋とされているものは、武鑑に記載されているものを資料としているのだと思われます。

以前にこのホームページで取り上げた、「肝付尚五郎」(NHK大河ドラマ篤姫の登場人物)の家紋で私が頭を悩ませた一件のよう
     柿 の 花に、武鑑に記載されている家紋は、特に下位の者について、必ず
しも、細部については正確と言えない面があります。


話が変わりますが、ドラマの中で、龍馬はついに脱藩し、江戸で勝麟太郎(勝海舟)と出会います。
そこで気なったのが、勝海舟の家紋。

ドラマの中では、着物に大きな「丸に剣花角」を付けています。

このころ、着物につける家紋の大きさは、鯨尺で直径一寸五分(約6cm)で、現代よりかなり大きめですが、それにしても、勝海
    丸に剣花角舟の家紋はずいぶん大きく見えます。
勝海舟の家紋と言えば、一般的には「丸に剣花菱」と言われています。

実は、「篤姫」の時も。勝海舟の家紋が「丸に剣花角」でしたので、不思議に思い、NHKの方に質問してみたことがあります。

答えは、「武鑑でみると、勝海舟の家紋は、『丸に剣花菱』です。しかし、1974年の大河ドラマ『勝海舟』で、『丸に剣花角』を使用しており、それをそのまま使用しているようです。当時、なぜ丸に剣花角を使用するようになった根拠は、今ではよくわかりません。」との主旨のお話でした。
     丸に剣花菱

勝海舟は、写真も残っており、その中には紋付きを着ているものもあります。

その写真の家紋は、かなり白く飛んでしまっており、はっきりとは見えないのですが、確かに「丸に剣花角」のようにも見えます。(しかも、確かにすごく大きい!)

大河ドラマで、勝海舟の家紋に「丸に剣花角」が使われているのには、そんな背景もあるのかもしれません。


勝海舟の逸話の一つに、威臨丸でサンフランシスコに入港する際、マストに自分の家紋を掲げようとして、止められた(事実がどうかはわかりませんが・・・)、というものもあり、実は、「家紋大好き人間」だった・・・としたら家紋屋としては、応援したい気分になります。(それって、「家紋大好き人間」ではなくて、単に「自分大好き人間」なのかな・・・?)


我が家も毎週、「龍馬伝」を楽しみに見ているのですが、最近評判がよいのが、佐藤健さん演じる「岡田以蔵」。

子犬のように、武市に認められたいがため、血に手を染めていく様を見て、妻や娘は「以蔵、可哀そう・・・」と涙し、一方、大森南朋さん演じる「武市半平太」には、「だんだん悪い(人間の)顔になってきていて、感じ悪ぅ・・。」と怒り始める。

演技が上手ければ上手いほど、役者さんも大変です・・・。


岡田以蔵役の佐藤健さん、仮面ライダー電王をやっていたんですね。

以前から顔は知っていたので、ジャニーズのアイドルかと思っていました。

確かに、我が家の息子も「仮面ライダー電王」は見ており、それを見かけたときは、「今の仮面ライダー・・・バイクじゃなくて電車に乗っているのか・・・。」とショックを受けた覚えがあります。(たしかにエコだけど・・・。)



17.NHK大河ドラマ「竜馬伝」

2010年が始まりました。本年もよろしくお願いします。

毎年、年が改まると、NHKの大河ドラマに関わる家紋の話を持ってきているのですが、今年は少し悩んでしまいました。

「竜馬伝」に興味が無いわけではありません。


NHK大河ドラマ「竜馬伝」ホームページ http://www9.nhk.or.jp/ryomaden/
   組合い角に桔梗

むしろ、「坂本竜馬」という人物には、昔から大変興味がありましたし、ましてやアノ「福山雅治」が演じるとなれば、我が家の女性陣など、大盛り上がりです。



しかし、また幕末ものかぁ・・・・・・・。


「様々な家紋」のページにも、大河ドラマ関係の家紋を、毎年一覧表にしているのですが、幕末ものだと、かなりカブルのです。

そこで、今年の「竜馬伝」に関する家紋一覧はわずか6個。

しかも、「篤姫」と3個カブってる・・・・・。



実は、もっと沢山載せたかったのですが、よくわからなかった、というのが真相です。

お恥ずかしいことです。

岡田以蔵や平井収二郎の家紋も載せたかったのですが、残念ながらわかりませんでした。

どなたか、ご存知の方、お教えください。スミマセン



というわけで(ナニガ?)その他の登場人物の家紋のお話です。

右の家紋は、香川照之さん演じる、「岩崎弥太郎」の家紋「重ね三階菱」です。
   重ね三階菱
「三階菱」の場合、重なり合っている菱の境界がありませんが、この家紋の場合は、境界線が描かれているため、立体感があります。



「岩崎弥太郎」と言えば、三菱財閥(三菱グループ)の創業者です。

今、テレビに登場している、地下浪人姿でキタナイ(失礼)岩崎弥太郎からは想像できませんね。
    三つ寄せ菱
三菱グループの名称でもある社章、ロゴマークは、家紋の場合、「三つ寄せ菱」という名称で、紋帳にも載っています。

そういった意味では、世界中で最も多く目にする「家紋」といえるかもしれません。

しかしながら、家紋で「三つ菱」というと、左の家紋が一般的なものとなります。

また、他にも「三つ盛り菱」という家紋もありますが、家紋として「三つ寄せ菱」を使用している家は、「三つ菱」「三つ盛り菱」に比
     三つ菱べると、かなり少ないと言えます。
三菱の社章「スリーダイアモンド」は、岩崎家の家紋である「重ね三階菱」と、土佐藩を治めていた山内家の家紋である「土佐柏」をアレンジしたものであると言われています。

山内家と言えば、戦国時代、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった人物に仕えた武将で、2006年のNHK大河ドラマ「功名が辻」の主人公、「山内一豊」の家です。


話が少しずれますが、「功名が辻」も面白かったですね。
    三つ盛り菱一豊役は上川隆也さん、千代役は仲間由紀恵さんでした。
話を家紋に戻しますと、「重ね三階菱」と「土佐柏」をアレンジして、作られた三菱のマーク。

作られた当初は、現在のものより菱が細く、中心には「土佐柏」のように小さな丸が付いていたようです。

つまり、現在のものに比べると、より「土佐柏」の形に近いものだったと言えます。

     土佐柏

「三菱グループ」というと、「鉛筆から戦闘機までを作っている」と言われることもありますが、「三菱鉛筆」は「「三菱グループ」と、資本的、人的関係は全くないそうです。

商標が同じなのは、三菱グループがこのマークを商標登録する以前から、三菱鉛筆が使用していたためで、両社に競合する事業分野が無いため、お互いの使用に、合意しているとのことです。


ちなみに、私の愛車は三菱車で、大変気に入っております。

ありがとう、岩崎弥太郎さん。頑張れ、三菱!。




16.家紋の中の「鳥たち」 ①

先日テレビで、「バードウォチングがブーム」というニュースをやっていました。

ローカルニュースではあったのですが、弊社のすぐ近くがポイントらしく、遠くから大勢の方がスコープやカメラを手に、やってきていました。

ここ富士市は、富士山の頂上から駿河湾にかけて広がっており、富士川をはじめ、水鳥が生息するのに適した河川も、数多く流れています。

また、水田も多いので、春から夏にかけては、カルガモの親子が田んぼの中に留まらず、用水路や道路、はたまた我が家の庭先にまで、のんびりと闊歩していたりします。
左の写真は、いぜれも弊社社屋から撮影した、富士山とオナガです。
オナガの他にも、木々にとまったり、水田で餌を探す、様々な鳥たちを観察することができます。

雀、鳩、カラス、燕、ムクドリ、カルガモ(この辺りは割合どこでも見かける鳥たちだと思います。)
コサギ、ヨシゴイ、アオサギ、セキレイ、ルリビタキ(これらはさすがに、イナカならではではないでしょうか?

庭にキジや猿が来ていたこともありますし、先日は市の防災無線で、「クマが出たので注意するように」!!!。(これはさすがに、富士山の麓のほうでしたが)

話が逸れましたが、これだけ多くの鳥たちが身近にみられるのに、家紋に登場する鳥たちには、だいぶ偏りがあります。

以前より、「家紋の素材には木や花が多く、動物、鳥、虫は少なく、魚は全くと言っていいほどない。」ということは書いてまいりましたが、その少数派の中では頑張っていると言える鳥も、実際,使用されているのは、かなり限られた種類のものに限られている、といえます。

鳥類の家紋で最も多く使われているのは、「鷹」ということになります。
しかし、鷹の場合、「鷹の羽」として羽だけを図案化したものがほとんどと言えます。
勇猛な鷹はもちろん、尚武的な意味合いから使用されたのでしょうが、その発生は、九州の阿蘇神社です。

家紋しては、「蒙古襲来絵巻」で菊地氏が「並び鷹の羽」を使用しているのが見られます。

現在では「鷹の羽」は全国に広まっており、その使用家数は家紋
   丸に違い鷹の羽の中でも、トップクラスです。

全国に広まった理由は、いろいろあるのですが、勇猛なイメージとバランスのとれた美しい文様は、大きな理由の一つでしょう。

鷹の羽には、バリエーションも数多く存在します。

 並び鷹の羽三つ並び鷹の羽 抱き鷹の羽 三つ鷹の羽 六つ鷹の羽車
 八つ鷹の羽車 井上鷹の羽並鷹羽に割鷹羽 浮線鷹の羽 鷹の羽組井桁
割折れ鷹の羽菱三つ違い鷹の羽 割違い鷹の羽反り違い鷹の羽 細違い鷹の羽
 柳井鷹の羽 芸州鷹の羽 白川鷹の羽 浅野鷹の羽 中村鷹の羽

上記のように、並べたり、重ねたり、割ったり、折ったり・・・。家紋は一つのモチーフを、実に多様に変化させて、多くのバリエーションを生み出します。

鷹の羽の家紋で、一般的な紋帳に記載されているものが、50種類以上あるのに比べ、鷹そのものをモチーフにした家紋は、3~4種類が記載されているに過ぎません。

左の家紋は、「鷹の丸」という家紋です。

「鶴の丸」や「鳳凰の丸」と比べると、優雅さよりも力強さ、たくましさが感じられ、いかにも「武家の家紋」といった印象を受けます。

     鷹の丸

「丸に違い鷹の羽」は私自身、子供のころ、一番好きな家紋でした。

何しろ、特撮ヒーロー「変身忍者 嵐」の家紋だったのですから。



15.「天地人」石田三成の「大吉大万大一」

NHK大河ドラマ「天地人」。主人公 妻夫木聡さん演じる直江兼続もかっこ良いのが、小栗旬さん演じる石田三成は、屈折しているようで、その実、実直な人物が、見る者を惹きつけます。

若い人たちの武将ブームの中でも、石田三成という武将は、大変人気が高いようです。

石田三成の家紋として有名なのは「大吉大一大万」。

旗印としてはインパクトがありますが、家紋の中でも、もっとも「家紋らしくない家紋」ともいえるかもしれません。

石田家ではこれ以外にも、桔梗紋や九曜紋を使用していたそうですので、状況によって、使い分けていたのかもしれません。

字紋には、名の一文字を使ったものと、字の持つ吉祥的、尚武的意味にちなんだものが多いのですが、この紋は吉祥尚武の大盤振る舞いです。
    大吉大一大万「大」は盛大、強大、広大などを表し、「吉」は文字通りの吉、「一」
は「かつ」と読んで勝利に通じ、「万」は卍(まんじ)の意味で吉祥の記号です。

もっともこの紋は、石田三成だけが使用しているわけではありません。

同じ構成の字紋には数種類あるようですが、「大一大万大吉」というものも多く見られます。

一説によれば、石田三成は「万民が一人のため、一人が万民のために尽くせば太平の世が訪れる。」との意味で、この紋を使った
   大一大万大吉とも言われます。

丹羽基二博士は、著書「家紋の由来と美」の中で、「大一」の「一」の字がその下の「大」にくっついて「天」の字になり、「万」を「下」に読み替えることで、「大いに天下をとってよし(吉)」と読み解いています。

正直この説は、豊臣秀吉に忠義を尽くした石田三成に、とてもよく似合い(この場合、天下を取るのは秀吉ということになります。)、ナルホドっと思ってしまいました。

石田三成は幼名「佐吉」といい、寺小姓をしていた寺に、秀吉が喉を潤しに立ち寄った際、お茶を三度、入れ方を変えて出し、秀吉を感心させた、という逸話があり、これを機に召し抱えられたと言われます。

これは「三杯の茶(三献茶)」と言われ、有名な逸話ですが、どうやら江戸時代に創作されたお話のようです。


ところで、石田三成を演じる小栗旬さん。大河ドラマで石田三成役を演じるのは、実は二回目で、1996年の大河ドラマ「秀吉」の中で、幼少時代の三成「佐吉」を演じています。(当時12~13歳位?)。

また、今回の「天地人」でも、回想として、「秀吉」の際に撮影された「三杯の茶」の場面が使われたとのことで、同一人物(俳優)が子役と成人後の二役を演じるという、大変珍しい作品になっているのです。



14.高山陣屋と兎紋

先日、岐阜県の飛騨高山方面に行く機会がありました。

江戸時代、飛騨は徳川幕府の直轄領で、177年間に25代の代官・郡代が江戸から派遣され、行政・財政・警察などの政務を行いました。御役所・郡代役宅・御蔵を併せて「高山陣屋」と称します。(高山陣屋パンフレットから抜粋)

高山陣屋は全国にただ一つ現存する徳川幕府郡代役所です。
この機会を逃すわけにはいかず、行ってきました。


現在、高山は岐阜県でも大きな都市ですが、当時、山深いこの土地に、徳川幕府の威厳を感じさせる、堂々たる門です。
徳川葵の入ったお大きな提灯が掛けられています。(もちろん当時のものではありません。)
昔もやはり、このような感じで掛けられていたのでしょうね。

江戸幕府が葵紋の使用を厳しく規制したことは以前にも書きましたが、そのような時代、この三つ葵紋の威光は、今の時代には想像もできないほどのものだったでしょう。
陣屋表玄関にも、やはり大きな徳川葵の幕が張られています。(もちろん当時のものではありません!)


ここから、靴を脱いで中に上がるのですが、入ってすぐ、釘隠しに面白い文様を見つけました。
兎の文様です。

ちゃんと目や鼻も描かれています。

よく見てみると、すべての柱の釘隠しに、同じ兎が使われていました。

これは、当時のものかっ!と思ったら、違いました。

しかし、当時、同じデザインの釘隠しが使われていたのは事実のようです。(当時のものがちゃんと展示されていました。)

これは、復元修理の際に、複製したもののようです。

この文様、細部は違いますが、家紋にも使われています。

「真向かい兎」という家紋です。

耳の向きが少し違いますが、背中のラインや顔つき、前足の感じなどそっくりです。

この「真向かい兎」は写実的に描かれているため、新しい紋かと思われがちですが、兎の家紋は「大阪夏の陣」で旗印に使われた記録もある、かなり歴史ある家紋です。

「古事記」では「因幡の白兎」が大国主命に助けられますが、のちに兎神となって因幡国高草郡の白兎神社に祀られます。また、仏教にも「月に兎が住む」という説話があります。

日本で瑞獣、神獣ともされますが、同時に肉は食用に、毛は筆に使われていました。

中国でも、その文様は古い時代のものにも見られます。

東京国立博物館に展示されている「兎蒔絵櫛箱」の兎は「月は海上に浮かび、兎波を走る」の句に意匠した文様で、その事からか、家紋の兎も、波と合わせて描かれたものも多く見られます。

捕らえやすい蛋白源としての実用的な意味以外に、やはり、その美しく、かわいらしい姿は、古来から人々に愛されたのでしょう。



13.松本城に行ってきました。

過日、家族で長野方面に旅行に行ってきました。

今までにも、松本を通過することは何度かあったのですが、どういうわけか、松本城に行ったことはなく、今回初めて、立ち寄ることができました。

松本城の天守閣は、1593年ごろ築造されたと考えられています。

明治時代の旧物破壊思想により、売却、破壊の危機にさらされたこともあったのですが、多くの人々の努力により買い戻され、大規模な修復を施されました。

現在、国宝として、その雄姿を見ることができ、天守閣にも登ることができます。

お城めぐりというと、何だか地味で、年配の方が多いのかと思っていたのですが、意外にも「イマドキノワカモノ」が多く訪れており、驚きました。

今、若い人たちの間でも、「歴史」や「戦国武将」が人気なのは知っていましたが、これほどまでとは・・・!おっと、家紋屋として、このブームに乗らねばっ!・・・・と商魂をひそかにメラメラと燃やしながら、天守閣に登りました。

天守閣の中は、戦国時代を戦うための迫力に満ちており、400年の歴史をひしひしと感じさせるものでした。

また、中に展示されている鉄砲や武具などには、見事な細工で家紋が描かれており、いかにこの時代の人々が、家紋に誇りと敬意を持っていたかを、しみじみ感じました。(ホントは写真も撮影したかったのですが、禁止でした・・・)

天守閣以外にも、様々な場所に、家紋は使われています。

この3枚の写真は、本丸防衛の要である「黒門」に施された家紋です。

左は「丸に立ちおもだか」。左下は「五七桐」。下の瓦には、「丸に立ちおもだか」と「五七桐」が描かれています。

松本藩は六家23代の藩主によって、治められてきました。

     1590~1613     1613~16171617~1633  1726~1869
    石川氏(笹竜胆)   小笠原氏(三階菱)   戸田氏(離れ六曜)
     1633~1638     1638~1725     1642~1725
  松平氏(丸に三つ葵)   堀田氏(堀田木瓜)   水野氏(丸に澤瀉)

松本城に隣接する松本市立博物館には、これらの時代の調度や武具が、数多く展示されております。

          陣羽織(六曜)       甲冑(源氏車)
        矢袋(亀甲に花角)         陣羽織(三階菱)
      甲冑手甲(釘抜き、片喰) 左の写真を拡大したもの(ヤヤピンボケ)
           枕(六曜)       長持(丸に三つ葵、六曜)

作られた時代は様々ですが、それぞれの品に、家紋への誇りと敬意が籠められているようで、商魂をメラメラと燃やしていた私は、少々反省させられました。



今回、一泊の旅行でしたが、かなり高いお宿に宿泊しました。

ただ、高いと言ってもお値段ではなく、標高でして、まだまだたくさんの雪が残っていました。(というか翌日は吹雪でした。)

最後に、いい年した私たち親子で作った雪だるまです。

かなり、かわいい・・・と思いませんか?


12.歌舞伎座の鳳凰

東京 銀座のシンボル「歌舞伎座」が、老朽化のため2010年4月の公演を最後に、立替になるそうです。

4代目になる現在の建物は、国登録有形文化財だそうでニュースでも大きく取り上げられています。

そのニュースで、歌舞伎座の正面の大きな青い櫓が映し出されました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Kabukiza_Yagura.jpg

「おっ、法隆寺の紋だ・・・。歌舞伎座と法隆寺・・・。どういうツナガリ?」

法隆寺といえば、世界最古の木造建築であり、日本で初めて、ユネスコの世界文化遺産リストに載った、正徳宗の総本山です。

右にあるのは、その寺紋である「鳳凰紋」です。

歌舞伎座のホームページによると、明治22年歌舞伎座落成当時の座主だった「福地源一郎」という方の自宅の釘かくしに使われていて、それが大変気にいっていたため、歌舞伎座の櫓紋となったのだとか。
  大和法隆寺寺紋もともと、この文様は、法隆寺の宝物「鳳凰円文螺鈿唐櫃」に使われたいたものです。

鳳凰円文螺鈿唐櫃http://shofu.pref.ishikawa.jp/inpaku/encyclopedia-j/db/img/r254-c0000646.jpg

螺鈿の見事な箱です。

螺鈿とは、貝殻を薄く削ったものをはめ込んでいく細工ですので、モザイクのように、細かいパーツを組み合わせて描きます。

歌舞伎座の櫓紋も、螺鈿の文様と同じように、パーツの繋ぎ目がそのまま表現されています。

箱には、歌舞伎座櫓紋のように右向きのものと、左向きのものが両方描かれています。

上の「大和法隆寺寺紋」は、平安紋鑑に記載されているものを参考にしましたが、家紋の場合、鳥や動物などがモチーフの場合、ほとんど左向きに描かれています。

      揚羽蝶      孔雀鳩    相馬繋ぎ馬

いろいろ調べてみましたが、はっきりした理由はわかりませんでした。(理由をご存知の方、お教え願えれば幸いです。kamon@rhythm.ocn.ne.jp

鳳凰の家紋も、紋帳にいくつか載っていますが、どれも左を向いています。

             鳳凰の丸              舞鳳凰           有職鳳凰

鳳凰は中国の空想上の鳥です。

竹の実しか食べず、青桐に棲み、国を治める天子が生まれる際、姿を見せると言われる「瑞獣」であることから、家紋として用いられたのでしょう。

法隆寺の金堂天蓋に描かれていますが、有名なのは平等院鳳凰堂の鳳凰で、現行の一万円札裏側に描かれています。

手塚治虫作の漫画「火の鳥」に描かれている「火の鳥」の姿は、この鳳凰をモデルとしているようです。

ただ、その生態?はヨーロッパのフェニックス(不死鳥、火の鳥)に近く、二つを混合した存在となっています。


ちなみに、私が「フェニックス」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、30数年前のテレビドラマ「柔道一直線」の必殺技です・・・・・。この話、わかっていただける方、少ないだろうなぁ・・・・・。



11,大河ドラマ「天地人」の話

新年明けましておめでとうございます。

年明け早々、社会では暗い話題が多いですが、「笑うかどには福来る」と考えて、明るくポジティブに頑張っていこうと思います。


さて、記録的な視聴率を誇った「篤姫」が終了し、新大河ドラマ「天地人」の放送が始まりました。大河ドラマ「天地人」公式ホームページ http://www9.nhk.or.jp/taiga/

舞台は、「篤姫」のきらびやかな大奥から、下克上の乱世へと大チェンジです。

主人公は、「義」を貫いた戦国武将、「直江兼続」。妻夫木聡さんが演じます。

直江兼続といえば、有名なのは、大きく「愛」の文字が掲げられた兜。
ドラマのタイトルにも登場します。

私も、昔、初めてこの兜を本か何かで見たとき、何かすごいミスマッチを感じましたが、同時にこのような兜をかぶっていた武将とどんな人物だったのか、大変興味を覚えました。(といって、実際には、「直江兼続って人なんだ、へえぇ・・・」で終わってしまったのですが。)

ところで、家紋屋として気になるのは直江兼続の家紋。
  三つ盛亀甲に花角しかしながら、これには諸説あり、少々困っています。

ドラマの中には、今のところ兼続が家紋を身に着けている場面はないようですが、NHK大河ドラマのホームページでは、上記の「三つ盛亀甲に花角」がデザインされています。

しかし、兼続の家紋として伝わっているものは、他にもあります。

      亀甲に花角           亀甲に花菱      三つ盛亀甲に三葉

実際には他にもあります。

現在、大名や家臣の家紋等を調べるのに便利な「武鑑」は、17世紀中旬にならないと、発行されていません。

そこで、現存している古文書や武具、調度品、書画などから調べていくのでしょうが、兼続の直系は早くに絶えてしまっているらしく、結論は出ていないようです。

NHKも歴史考証は、相当やっているのでしょうし、私ごときが結論など出せようはずもありませんので、このホームページ上の「様々な家紋」の「大河ドラマ天地人登場人物の家紋」では、「三つ盛亀甲花角」を記載してあります。

また、「天地人」では、有名な戦国武将が数多く登場するため、「様々な家紋」の「戦国武将の家紋」とかなりかぶってしまいましたので、「戦国武将の家紋」の一部を入れ替えました。そちらもご覧下さい。


ところで、私の義兄が「今まであまり大河ドラマ見なかったけど、今回は初回からしっかり見てる。」というので、理由を聞くと、「だって、ウチの娘の名前『愛(マナ)』じゃん。」・・・・・・・。何だかヨクワカラナイ親バカです。


10、魚の家紋は何故ない?

先日、息子と近くの海岸に釣りに行ってきました。

私も息子も、まだ釣りは始めたばかりの初心者で、この時期何が釣れるのかさえ良くわからないまま出掛けました。

たまたま堤防上で、市民マラソンの大会があった為か、釣りには良くない条件だったのか、いつも沢山見かける釣り人が、その日に限ってほとんどいません。

釣りを始めても、案の定、全くあたりがきません。
私は、「これはアカン」と早々撤退しようとしたのですが、息子は粘
      浪に千鳥ります。

持参したオニギリも食べてしまい、早く帰ってビールでも飲みたくなってしまった私は、息子に、「キョウハダメソウダヨ、コンナヒモアルサ、ソロソロカエロウヨ」などと言ってみるのですが、最近なんだかシッカリモノになってきてしまった息子は「この海岸で今までボウズはない、もう少し頑張ってみる。」などと言って粘ります。

仕方なく、私も付き合って竿を出していたのですが、やっぱりダメです。

夕方には所用もあり、さすがに時間いっぱいになってきましたので、「もう一回投げてダメなら、あきらめよう」と息子の了解を得て、最終投擲したところ・・・、掛かりました。

なんだか申し訳ないような、小ぶりの鯛です。

リリースしたほうがいいのかと迷いましたが、とにかく唯一の釣果とさせていただき、晩御飯には煮付けになって、息子の腹に収まっていきました。(家族皆でつつくにはサイズ的に無理でした。)


私達のショボイ釣果はさておき、家紋の話です。

日本は海に囲まれた島国で、人々の生活に、魚は大変身近な存在でした。

ところが、あれだけ様々な素材が使われている家紋には、不思議なことに魚は全くといっていいほど、見当たりません。


家紋は、その素材にかなり偏りがあります。

もともと、植物は多く、動物は少ない。鳥では、鶴や雀、千鳥、雁がほとんどで、それ以外は大変少ない(例外的になぜか鷹は羽根だけを使用したものが多く使用されている)。蝶は多いのに、それ以外の虫はごくわずか・・・。

その中でも、魚が全く登場しないのは本当に不思議です。

魚の家紋はありませんが、そのほかの海や川の生き物は、意外と種類があります。

 中でも貝類の家紋の種類は多く、「巻貝」「法螺貝(ほらがい)」「兜貝(かぶとがい)」「板屋貝(いたやがい、いたらがい)」「蛤(はまぐり)」・・・紋帳には載っていないのですが、「さざえ」なんかもあります。

     兜貝    板屋貝     三つ蛤    法螺貝

法螺貝は多くの場合、山伏や戦場で使われた、吹き鳴らす加工を施されたものが、家紋には描かれています。

他に海川の生き物としては「海老」「蟹」「亀」など。

   海老の丸      蟹     上り亀   真向かい亀

海老は、長い髭や曲がった腰が長寿を連想させ、おめでたいものとされていることから、家紋に使われたのでしょう。

蟹は、硬い甲羅が甲冑を、振りかざすハサミが刀を思わせ、武家に好まれたといわれます。家紋になっているのは、浅い海に住むガザミと川にすむ石蟹(沢蟹)と思われます。

亀はいわずと知れた長寿のシンボルです。足に爪があることから、家紋のモデルは海亀ではなく、石亀、草亀といった種類のようです。

ちなみに耳があり、甲羅から毛のようなものが生えている亀を、紋章の世界では「蓑亀(みのがめ)」と呼びますが、これは毛ではなく、藻のようなものだそうで、中国にはこういう亀が本当にいるそうです。(こんなに突き出た耳はないと思いますが・・・。)


家紋に魚が見られないのは、殺生や肉食をいさめた宗教の影響ともされますが、それだけでは、説明できないような気がします。

水族館などが無い時代、魚は食材として、死んでしまったものしか見る機会が少なかったからでしょうか?海老、蟹、貝など水から揚げても、比較的長く生きているものは、家紋として残っていることを考えると、そんな気もします。

今の時代だったら、いろんな魚や、イカ、蛸、クラゲなんて家紋も生まれたかもしれませんね。


9、肝付家の家紋

前回お話させていただいた「肝付尚五郎の家紋」、鹿児島在住の方が、尚五郎の父、兼善のお墓の家紋を、送ってくださいました。

やはり、「尻合せ四つ結び雁金」で間違いないようです。

薩陽武鑑に描かれていたもの(「篤姫」で使用されていたもの)は、この図柄を簡略化したものと考えていいでしょう。

前回も申しましたが、「尻合せ四つ結び雁金」という家紋は、紋帳その他の資料にも、ほとんど掲載されていません。
それだけ、使用家が限られている家紋なのでしょう。

私が頭を悩ませた「肝付尚五郎の家紋」、一応結論が出ました。   ヨカッタ・・・・・。

私の無知と想像力の欠如をフォローしてくださった情報提供者の方には、本当にお世話になりました。(わざわざ写真を撮りに出かけてくださったのですっ!)

この場を借りて、今一度お礼申し上げます。


8,NHK大河ドラマ「篤姫」がらみでpart3

前回更新してから、しばらく間が空いてしまいました。

仏具用の家紋が、お盆の前に多く出るもので、そちらが急がしかったことと、本ホームページ上の「様々な家紋」の「各宗派紋」に関して、かなりひどい誤りがあることに気が付いて、冷や汗を掻きながら訂正するのに、時間がかかったのが理由です。

「各宗派紋」では掲載紋を18→27に増やしましたので、興味のある方はどうぞ。http://www.kamon.ecweb.jp/2801.html

さて、またまた「篤姫」ネタで書かせていただきたいと思います。

篤姫が天璋院となり、皇女和宮や勝海舟、坂本竜馬といった新たな人物も登場し、新局面を迎えました。

堀北真希さん演じる和宮と、宮崎あおいさん演じる天璋院とのやり取りは、取り巻きたちを巻き込んで、妙な緊張感があり、目が離せません。

また、坂本竜馬を玉木宏さんが演じることについては、我が家の女性陣は「二枚目過ぎる!」だの「ちょっと線が細い感じ」などど、登場する前から騒いでおります。

私的には、今まで竜馬を演じてきた役者さんたちが、どちらかといえば、骨太で男っぽいイメージでしたから、逆に新しい竜馬を作ってくれそうで、期待しております。


さて、家紋屋のホームページですから、家紋のことについても書かせていたいただかなければなりません。

瑛太さん演じる小松帯刀が、改名する前の、肝付尚五郎の家紋に関することです。(ヤヤコシイですね)


左が、ドラマでも使用され、「薩陽武鑑」という本にも記されている肝付家の家紋ですが、私には恥ずかしながら、名称どころか、何を表した家紋なのかも、わかりませんでした。

この「家紋の話あれこれ」の「4、再び篤姫のこと」の最後で、この家紋の名前について、「どなたか教えてください!」と助けを求めたところ、先日、鹿児島在住の方がメールを下さいました。

そして、肝付尚五郎の家紋は「尻合せ四つ結び雁金」に似ている家紋、と教えてくださったのです。
          
薩陽武鑑にある肝付家家紋       なるほど、「尻合せ四つ結び雁金」か!

今更ながら、己の想像力の無さにがっかりしました。

肝付家の家紋を調べている段階で、全国的な肝付家の使用家紋に雁金紋があることは、何度か目にしていたのですが、上記の家紋の図柄に、雁金紋に当てはめることが出来ませんでした。

雁(かり)、雁金(かりがね)とは、文字通り、渡り鳥の雁(がん)です。

鳥の体を「結んでしまう」とは、すごい発想ですが、「雁金紋」は愛嬌のあるデザインで、様々な組み合わせを用い、多くの種類があります。

ただ、紋帳に記載されている結び雁金紋は、一つから三つまで、「尻合せ四つ結び雁金」という家紋は、紋帳には記載されていません。

 尻合せ三つ結び雁金左は紋帳に載っている「尻合せ三つ結び雁金」です。
これが、「頭合せ」となると、頭を中心にむけるわけです。

四つの結び雁金となると、左の「尻合せ四つ重ね結び雁金」(長い名前っ!)が載っています。

体や羽が、重なり合っていて、「四つ宝結び雁金」とも呼ばれます。
「宝結び」とは、紐を美しく結んだ形で、装飾に使われました。

尻合せ四つ重ね結び雁金紋帳に記載されていないからといって、存在しないわけではあり
ません。
紋帳に載っているのは、数多くある家紋の中の、一部です。

さて、重なっていない、普通の「尻合せ四つ結び雁金」を試しに描いてみました。

円形に切り取った時、羽の先端と頭の上端が、円に沿うように描くとこうなりますが、これだと、顔が小さくなってしまい、少々窮屈そうです。

あえて、顔を大きく描くと、左のようになります。

だいぶ、「薩陽武鑑」に記載されている家紋の印象に、近づいてきましたが、結んでいる体の間隔を少し広げて、くちばしを外側に向けると、右のようになります。
さらに、羽を伸ばして、重なりを作ってみます。

「薩陽武鑑」に記載の家紋を、結び雁金で作ると、こんな感じでしょうか?

なんとなくわかったような気がして、一人ニマニマしていたところ、前述の方から続報が届きました。(実はずうずうしくも、詳細について教えて欲しいと、お願いしたのです。)

そのお話によりますと、肝付尚五郎の父、兼善のお墓に件の家紋があるとのことですが、ドラマの家紋とはずいぶん違うとのこと・・・・・・。

さて、どんな家紋なのでしょうか?肝付尚五郎の家紋解明は、もう少し先の楽しみになりそうです。


7,「CHANGE」に出てくる家紋  日本国政府紋章・・桐

フジテレビの月9ドラマ「CHANGE」。

小学校教諭の朝倉啓太(35)が、事故死した衆議院議員だった父親の跡を継ぎ、初当選した直後、大物政治家の思惑によって、総裁選に出馬、なんと内閣総理大臣となってしまうのですが・・・というお話です。

主人公の朝倉をSMAPの木村拓哉さんが演じております。

  フジテレビドラマ「CHANGE」公式ホームページ http://wwwz.fujitv.co.jp/change/index.html

さて、このドラマのタイトルバックに「五七桐(ごしちのきり)」の旗が出てまいります。

「五七桐」は日本国政府の紋章であり、また、内閣総理大臣の紋章でもあります。

ビザやパスポートなどの書類の装飾に使われたりしていますし、実際、内閣総理大臣が演説する際の演台にも、「五七桐」のプレートが付いています。

総理大臣官邸では、以前から外国の賓客の接遇のための晩餐会等の招待状や食器、閣議室の大臣席の硯箱や大臣の表彰状などに、「五七の桐」を使用しているそうです。
     五七桐また、首相官邸のホームページにも描かれています。
http://www.kantei.go.jp/

この「五七桐」ですが、もとはといえば左の「八重十六枚菊」と同様、天皇家の家紋です。

桐紋は、足利尊氏や豊臣秀吉、織田信長等、功労のあった武将や将軍に、朝廷から下賜されることも多かったことから、「桐紋」は「政権担当者の紋章」、といった意味合いを持っていきました。

そのことで「桐紋」は、武家にとって憧れの家紋となっていったのですが、将軍たちもまた、家来や家臣に賜与したこともあり、その
     八重十六枚菊使用家はあまりに多くなってしまいました。

実際、徳川時代の大名や旗本の系譜集「寛政重修諸家譜」によると、桐紋の使用家は473家に及び、全体の20・77パーセントに達します。

その為もあったのしょうか、徳川家康は桐紋の下賜を丁寧に断り、その代わりに葵紋の独占使用するようになりました。

徳川幕府は葵紋の使用規制をしましたが、桐紋に関しては、特に何の規制もなかったこともあり、一般にも、桐紋は多く使われるようになりました。
       徳川葵桐紋は高貴なイメージがあっただけでなく、何よりその完成された美しさが際立っていたことも、普及の大きな要因と思われます。

「桐の木には鳳凰が棲む」という伝説が中国にはあります。

平安時代初期には、日本で桐の文様が使用されいるのも、中国文化の渡来とともに、こういった思想が伝わってきていたからでしょう。

鳳凰が住むのは、中国の青桐ですが、文様化されているのは、日本原産の白桐です。

白桐の花の形は、500円硬貨の表側を見ていただければよくわかりますが、まさしく「桐紋」の形です。

桐紋は武家のみならず、町民の間にも広く使用されていたため、昔は貸し衣装の紋付には「五三桐」が付いていたものでした。

その形の美しさとともに、誰が使用しても許される家紋となったのです。

最後に、多くある桐紋のバリエーションの一部をご紹介しておきましょう。

   多度桐   對州桐   福井桐    芋桐   上杉桐
   新田桐   埋み桐    藤桐  五三花桐    踊桐
  五枚鬼桐  総陰五三桐  陰上田桐   嵯峨桐    鷺桐
    花桐   桐崩し  下り花桐    桐車   浮線桐
  五七割桐  三割五三桐  三寄せ花桐  桐揚羽蝶  桐の枝丸

繰り返しますが、本当にこれは「バリエーションの一部」です。

しかし、感心するのは、「どれもが美しい形にまとまっている」ということです。

「桐」という素材がよかったということもあるでしょうが、先人たちのセンスに脱帽です。

ところで、話は「CHANGE」に戻りますが、木村拓哉さん扮する総理大臣のSPの役で、岡田准一さんや真木よう子さん、ちょっとでいいから出てくれませんかね。

同じフジテレビだし、二人ともカッコよかったですから・・・。

       フジテレビ ドラマ「SP」公式ホームページ http://wwwz.fujitv.co.jp/sp/index.html



6,琴欧洲 優勝

大相撲夏場所で琴欧洲関が優勝しました。

私も好きな力士の一人ですので(さほど相撲に詳しいわけではないのですが)、応援しておりました。

さて、その優勝パレードや祝賀会の際、琴欧洲関は紋付を着ていたわけですが、付けていた家紋は「丸に蔦(ツタ)」でした。

ブルガリアに家紋はありませんので、どうして「丸に蔦」にしたのだろう?と思ったのですが、佐渡ヶ嶽親方も同じ「丸に蔦」の紋付を着ていたそうです。

とすると、家紋を持っていない外国人力士の場合、親方の家紋を使うものなのでしょうか?

また、タニマチが紋付を揃えてくれた場合、そのタニマチの家紋で作るとの話もありますので、そちらかもしれません。

           丸に蔦どうせなら、自分の好きな家紋を選んで、「もともと家紋を持って

いなかったけど、これを自分の紋にすることにしました、ごっつぁんです。」と決めるのもいいと思うのですが・・・。さて、この「丸に蔦」。いかにも家紋らしい、いい形の家紋です。

「蔦の絡まるチャペルで、祈りを捧げた日・・」で始まる歌もあり、なじみの深い植物の一つです。

蔦は子孫繁栄の象徴として、広く家紋に使用され、徳川吉宗も、葵紋のほかに蔦紋を使いました。

ところで、この蔦紋、形は実物の蔦の葉を図案化して、きれいな形を構成していますが、外郭に使われている「丸輪」とは別に、中心のやや上に、小さな丸があるのにお気づきでしょうか?

花の「がく」ならわかりますが、葉っぱの付け根や葉脈の中心に、「丸」なんてあったでしょうか?

実はこの小さな丸、蔦紋以外の多くの家紋にも使用されています。

  五三鬼桐  八つ剣菱 八つ鷹の羽車  蔓剣片喰  六つ丁子

つまり、この小さな丸、何かの実在のものを表しているわけではなく、視覚的に、家紋の文様を安定させる為に使用されているのです。

いくつかのパーツを組み合わせた家紋の場合、この「小さな丸」がないと、いかにもばらばらになってしまいそうです。

見た目は小さく、何気ない存在ですが、その果たす役割は、かなり重要な「丸」なのです。




5、サッカー日本代表のエンブレム「三本足烏」

北京五輪においてサッカー日本代表U23が、JFA(日本サッカー協会)のエンブレムを使用できない可能性が高いと報じられております。

IOC(国際オリンピック委員会)の、メーカー商標以外の商標の使用に関するガイドラインが厳しくなったためのようです。

JFA(日本サッカー協会)のエンブレムといえば「三本足の烏(カラス)」。

       日本サッカー協会のオフィシャルページ http://www.jfa.or.jp/

カラスは古代から「神の使い」とされており、家紋にも古くから使用されています。

「古事記」「日本書紀」には、神武天皇が大和に向かう折り、道に迷った際に八咫烏(ヤタガラス)が表れ、大和への道案内をした、と記されています。

その為、和歌山県の熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三つの神社の総称)では、この八咫烏が神の使いとして祀られており、熊野神社に仕える鈴木氏とその一族の独占紋として、使用されています。
  烏(カラス)また、西日本地方の鎮守様にも「烏祭り」があったり、民間でも、正月にカラ

スを呼ぶ習慣があるなど、カラスは広く「神使」として、考えられていました。

あの「織田信長」を苦しめた鉄砲傭兵集団「雑賀衆」の旗印が「八咫烏」だったことは有名です。

ところで、「八咫烏」は「三本足」である、というのが一般的で、JFA(日本サッカー協会)のエンブレムも「三本足のカラス」です。

ところが家紋で見ると、「三本足のカラス」の家紋は多少見られるものの、どうも古いものではないようです。

また、「古事記」「日本書紀」にも、「八咫烏は三本足」といった意味の記述は無いようで、いつの間に「八咫烏」が「三本足」ということなったのかは、はっきりとしません。

中国では、太陽の中に「三本足のカラス」が住んでいるといわれており、その話が取り入れられた為かとも思われます。
   那智烏上記のように、カラスを「神使」とする考えは、日本以外にもあったのですが、欧米では忌み嫌われることが多い。

これは、「旧約聖書」の「ノアの箱舟」の中で、箱舟からノアが放したカラスは、とうとう戻らず、その後放った鳩がオリーブの葉を咥えて帰ってきた、ということが大きいようです。

それ以外にも様々な理由があったようですが、欧米では鳩は「平和の象徴」となり、その真っ黒い姿も不吉とされたカラスは、「悪魔の使い魔」となってし
   向い鳩まいました。

現在、烏紋を使用している家が、極端に少ないのは、もともと使用家が限られていたことに加え、この「カラスは不吉」という考え方が、輸入されてから、烏紋を他の紋に替える家が多かった為、とされています。

しかしながら、理由は他にもあったのでは?と私は考えます。

それは、「カラスは真っ黒」だから、という理由です。

黒いから不吉をイメージする、などという話ではなく、家紋の場合、色の話がからんでくると、何かと使いにくいのです。

家紋を描く場所は、白いところばかりとは限りません。黒や紺といったところに描く場合も数多くあります。

その場合は白や朱、金、銀といった色で描くことになります。

「黒餅(クロモチ)」という家紋があります。
  黒餅(白地)  黒餅(黒地)餅は延年長寿の印であるし、形もシンプルで判りやす
いことから、古くから旗印や家紋として使用されていました。

「黒餅」がある以上、「白餅」という家紋もあるのですが、左の絵を見ていただければ判るように、地が白か、黒かで餅の色が逆転してしまい、大変まぎらわしいのです。

  白餅(白地)  白餅(黒地)その為でしょうか、使われるのは「黒餅(クロモチ、コク
モチ)」だけとなり、それでも判りにくかったためか、呼び名も、石高の増加に掛けて、「石持(コクモチ)」の字を当てるようになりました。

現在では、この「石持」も単独で家紋として使われることはなくなりましたが、様々な家紋の外郭の一つ、もしくは描き方の一つとして、よく使用されています。
石持ち地抜き百足の丸石持ち地抜き稲妻菱

さて、話を「烏紋」に戻します。

「烏紋」には「黒餅」「白餅」と違い、名称に色が含まれているわけではありませんが、「カラス」そのもののイメージは、まさに「真っ黒い鳥」です。

姿形に特徴がないわけではありませんが、「黒」のイメージが強すぎるのです。

そうすると、「烏紋」の場合、鳩だかカラスだか鳶だかわかりにくい。
やはり、カラスは真っ黒くてこそ、カラスらしく見えるのです。

左は、一番初めに載せた「烏」の紋ですが、黒地に白く描くと、やはりパッと
  烏(カラス)見て、「カラス」とわかる人は少ないかもしれませんね。

やはり、家紋は様々な用途に使ってこそ定着していくもので、色や名称に関わらず、何かの理由で使いにくいものは、残っていくことが難しいようです。



4、ふたたび「篤姫」のこと

2回目になりますが、NHK大河ドラマ「篤姫」にでてくる家紋について書きたいと思います。

瑛太演じる「肝付尚五郎」。5月3日の放送で、小松家に養子に入り、「小松尚五郎」となりました。

「様々な家紋」のページの、「篤姫 登場人物の家紋」のなかでは、肝付尚五郎(小松帯刀)の家紋は「抱き鬼菊の葉」と紹介しています。

しかし、厳密にいえば、この家紋は小松家の家紋です。
つまり、養子に入って家紋が変わったわけです。
では、もともとの家紋である「肝付家」の家紋はどのような家紋だったのでしょうか。

いろいろ資料を見たのですが、薩摩の肝付家というと「鶴の家紋」があるようです。しかしながら、大河ドラマで肝付尚五郎が身につけている家紋は、どう見ても「鶴紋」ではありません。

ドラマの中で肝付家の家紋が出てくるたびに、覗き込むようにして見てみるのですが、どうにも見たことのない家紋で、正確な名称は愚か、一体何をモチーフにした家紋かさえ、わかりません。

そこで、恥ずかしながらNHKにメールで質問させていただいたところ、早速丁寧な回答をいただきました。

「家紋名はわかりませんが、薩陽武鑑という書を参考に家紋を使っております。」とのこと。

「薩陽武鑑」というのは、江戸時代に刊行された書で、薩摩藩上級家臣の略系図・家紋・当主名・役職・道具印・嫡子名・禄高等が記載されているものです。

しかしながら、手元にも近くの図書館にも、「薩陽武鑑」はないので、今度は鹿児島県立図書館にお願いしてみたところ、必要経費(コピー代、郵送代)を支払えば、コピーを郵送してくださるとのこと。

幸いNHKで、何ページのどこに載っているか、ということまで教えていただいたので、お願いする事にしました。

それで届いた薩陽武鑑の肝付家のページのコピー、鶴丸の家紋とともに、件の家紋がちゃんと載っていました。
この家紋です。

えっ?これってやっぱり何の家紋だろう?

「薩陽武鑑」には家紋の名前までは、記載されていません。

正確な文様がわかったところで、もう一度手元にある紋帳、資料集、研究書をひっくり返して調べてみたのですが・・・・・・残念ながらはっきりしませんでした。

全く同じものが見つからなくても、想像力を働かせ、文様の構成、部分的な特徴、もっといえばパッと見て何に見えるか?で、モチーフくらいはつきとめたかったのですが・・・。

どなたか、この家紋の名称がわかる方、ぜひ、お知らせください。kamon@rhythm.ocn.ne.jp



3、家紋メーカー

少し前に「脳内メーカー」というサイトが話題になりました。

私もやってみましたが、結果は・・・・・・・・・ちょっとここでは言えません。

その流れでしょうか。今、通称「家紋メーカー」というサイトがあるのをご存知でしょうか?

正確には、「KAMONジェネレーター」といって、名前と生年月日を入力すると、「あなただけの」家紋を作ることが出来る、というものです。

コカコーラが新発売した、「綾鷹」という緑茶飲料のホームページ内にある、ゲームのようなコーナーに設置されています。http://ayataka.jp/#fun-kamon

そこで、私もやってみました。

「丸に心の字丸」といった感じです。
なかなか、格好良いと思いますがいかがでしょうか?

なぜ、あなたはこういう家紋になったか、という占い風の解説もあり、「そういうものか・・う~む」となりました。

この家紋、もちろん紋帳には載っていません。確かめることは難しいですが、おそらく実際に使用している家もないかと思います。

その他、家族や友人の名前を使っていろいろ試してみたのですが、普通の家紋(?)には使われない素材(たとえば豚くん)を使ったりしていて、それでいてちゃんと家紋らしくなっていて、いやはやすごいものです。

よく見てみると、「家紋デザイナー沖のりこ他デザイナーにより製作された」、とのこと。

沖のりこさんのことは、ご自身のホームページ等も拝見し、以前より存じ上げておりました。

    沖のりこさんのホームページ   http://okinori.com/

私の名前でできた上の「丸に心の字丸」は、作風からいって違う家紋デザイナーさんのものだと思いますが、沖のりこさんのデザインは「海亀」や「ビーチサンダル」といった、ユニークなものをモチーフに、新しい家紋を創りあげており、すばらしいものだと思います。

「新しく家紋を作る」というと違和感を覚える方もいるかと思いますが、江戸時代後期になってできた家紋は、古来からのものに比べれば少ないですが、かなり使用されています。

しかしながら、これが明治以降に作られた家紋となると、実際に使用されているものは、あまり多くはありません。

千鹿野 茂氏の「日本家紋総鑑」は、氏が三十数年間をかけて全国を回り、墓石から拓本した家紋約二万種を掲載した大作ですが、この中には「新紋」として32点のものが掲載されています。

その中には、「碁盤」や「洋琴」、「三角定規」「や「麻雀の牌」、なんと「ヘリコプター」までがあるのですが、同時に、氏は「一代限りの紋」で「厳密には家紋とはいえない」とも述べています。

  丸に碁盤   洋琴 丸に三角定規  麻雀の牌 ヘリコプター

これらの紋は、やはり紋帳には載っていません。では、明治以降に作られた家紋は、紋帳に載っていないかというと、そうでもありません。

蝋燭(ろうそく)紋は数種類、紋帳に載っています。

家紋になっているのは、現在多く使用されている洋式蝋燭ではなく、日本蝋燭のほうです。

もともと江戸時代から商標として使用されていたものが、家紋に転用されたようです。
丸に一本蝋燭
鋏(はさみ)紋も、紋帳に数種類載っていますが、こちらもX型の洋式はさみではなく、和式のはさみです。

このはさみは、裁縫道具に今でも使われているので、若い方でも、目にしたことがおありかと思います。
 丸に違い鋏
左の家紋は「海軍錨」という家紋です。

錨の家紋は、和舟用のものと、汽船用の洋式錨が、数種類紋帳に載っていますが、どれも比較的新しく、江戸時代以降のものが多いようです。

「海軍錨」は言うまでもなく、戦時中に作られた家紋です。
   海軍錨
見ての通り、まさに土星です。

紋帳でも「星」の項目に、「渡辺星」や「九曜」と並んで載っています。

詳細はわからないので、断言は出来ませんが、輪まで描かれていることを考えますと、明治以降に作られたのではないか、と思います。
 土星に天体

上記の家紋はたしかに紋帳には載っていますが、実際使用している家は、極少数か、ほとんど無いようです。

家紋の使用目的や頻度が、昔と変わってきたことは大きいでしょうが、新しい家紋が定着し、代々受け継がれていくのは、なかなか難しいようです。



2、あれっ、これって家紋?

普段の生活の中で、自分の家の家紋を目にする機会は、昔に比べ減ってきたようですが、逆に思わぬところで家紋(?)を発見することがあります。

ファッションの世界では、すでに「和柄」は確たる地位を築いており、家紋の入ったTシャツを着ている人を見かけることも珍しくありません。

ルイ・ヴィトンのモノグラムが、家紋を基にデザインされているといわれていますが、たしかにそんなようにも見えます。http://www.vuitton-style.com/cl/mon/

しかし、よく見てみると全く同じ家紋はありません。近いところでは「七宝反り花角」でしょうか?中の花は、4弁の桔梗といった方が近い感じです。

19世紀末には、家紋は海外にも紹介され、現在でも多くの本が出版されています。デザインとしての家紋の評価は、世界的に極めて高く、デザインの勉強の際には、大変重要な教材といわれておりますので、影響を与えたことは間違いなさそうです。
七宝に反り花角

浅草の浅草寺を見た外国人が「日本にナチスの建物がある!」と驚いたという話があります。

削除ナチスのマーク「ハーケンクロイツ」は日本語に訳すと「鉤十字」。ヨーロッパでは、ナチとファシズムの象徴として、未だ使用するのはタブーであり、ドイツでは、公の場での使用を、法律で禁止しています(学術的な場合を除く)。

ハーケンクロイツは、家紋風にいうと、「石持ち地抜き隅立て五つ割右万字」となります。(周りが赤ということは別にしてですが)
ハーケンクロイツ
一方、浅草寺の寺紋は「丸に五つ割万字」。
卍は、古代インドでは最古神ビシュヌ神の胸の繊毛、古代バビロニアやアッシリアでは太陽の象徴として、また他の多くの国で、神聖な記号とされています。

日本に伝わってきた際には、太陽と仏を表象する吉祥の相、万徳の集まるところとされました。
丸に五つ割万字

ところで、アメリカの人気テレビドラマをDVDで見ていた時、緊迫したある場面に、家紋によく似たマークが登場し、びっくりしました。

アクション映画好きな方、医療機関で働いている方ならお分かりかもしれません。

このマークはバイオハザードマークといい、生物学的危険指標を表すもので、感染性廃棄物の容器などに貼られるものです。

国際規格で定められているれっきとしたものですが、一般人にはなにやら恐
バイオハザードマークろしげで、あまりお目にかかりたくないマークです。
一説によるとオニユリの花がモチーフとか?
家紋で「百合の花」というと右のような家紋です。

これも「えっ?」って感じですが、百合の花を上から見ると、こんな風でしょうか?
不思議とバイオハザードマークと、なんとなく共通点もあるような・・・。

  百合の花写実的な、美しい家紋で、比較的近世に使用された新紋の一つです。
右の家紋の「三つ大の字」。

こちらの方は、まさにそっくりです。この家紋は、「源平盛衰記」において、梶原景時の子、景季が直垂に用いたといわれる古いもので、上下が逆になったものもあります。
 三つ大の字



1、NHK大河ドラマ「篤姫」のこと

最近、多くの人がよく目にする家紋について書こうと思います。

NHK大河ドラマ「篤姫」、島津家の人たちは皆、大きな家紋を付けています。この頃の裃の家紋の大きさは、鯨尺で直径一寸五分(約6センチ)。今の感覚だとずいぶん大きく感じます。

ところで、問題なのはこの島津家の家紋。「丸に十の字」。

現代の紋帳の場合、この家紋を探してみますと、「轡(くつわ)」紋として載っています。

轡(くつわ)というのは馬の口にふくませる鉄製の馬具で、「丸に十の字」はほとんどの場合、筆字で描かれています。

もともと、島津家の家紋は、丸のついていない筆字の十の字で、これは1293
年に描かれたとされる「蒙古襲来絵詞」の、島津氏の旗指物に見られる、古い歴史を持つものです。

十の字が家紋に取り入れられた意味はいろいろと考えられていますが、最も有力なものは、沼田頼輔氏が「日本紋章学」で唱えた、「厄除けの呪符である」との説です。
中国の故事に基づいたものですが、世界各国でも十の字は魔よけの意味を持つことが多いようです。

戦乱の時代、旗指物に描かれていた家紋は、平和な時代に入ると裃や調度に描かれることが主となります。
そのためもあってでしょうが、江戸時代になると武家の家紋は、丸輪に収められたものが多くなります。

島津氏の家紋も、丸輪がつき、やがて直線で描かれた、幾何学的な十文字であらわされることが、多くなっていきます。

丸輪と十文字の境は、あるものとないものありますが、「篤姫」ではないものを多く使用しているようです。

このように書くと、ずいぶん変遷してきたようですが、これは、「家紋を変えた」というよりも、平行して使用していたいくつかの家紋のうち、使用法にあった家紋が主に使われるようになっていった、と考えた方がいいでしょう。


参考文献  泡坂妻夫著「家紋の話~上絵師が語る紋章の美」新潮社、丸山浩一著「家紋由来帳」日栄出版、本田總一郎監修「新集家紋大全」梧桐書院、千鹿野茂著「日本家紋総鑑」角川書店、丹羽基二著「家紋と家系事典」講談社、加藤秀幸解説「別冊歴史読本 日本の家紋6000」新人物往来社、大隈三好著「家紋辞典」金園社、髙澤等監修「イラスト図解 家紋」日東書院 他(順不同、敬称略)

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