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家紋の話あれこれ2012年


32,オリンピックと星紋


7月27日に開幕した「2012ロンドンオリンピック」が、終わりました。


サッカーの予選リーグは、開幕式前の25日に始まりましたから、25日間、何度夜中に起きたでしょうか?


寝不足の日々も、良い思い出となりました。


JOC日本オリンピック委員会公式ホームページ http://www.joc.or.jp/




「オリンピックシンボル」五輪マークは、皆さんおなじみのものです。


五色の輪は、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカ、アジア、オセアニアの五大陸を表しているそうです。(どの大陸が何色か、とは決まっていないそうです。)


シンプルなマークなので、家紋にもありそうだな、と思って調べたら、ありました。


一般的な紋帳には記載されていませんが、千鹿野茂先生の「日本家紋総鑑」に、「五つ輪違い」として記載されていました。

家紋ですので、当然カラーではなくモノクロで、オリンピックシンボルと比べると、横長な感じですが、全く同じ構成と言えます。

この家紋を使用している家は、オリンピックシーズンになると他の家より盛り上がるのではないでしょうか?
     五つ輪違い

この場合、話の流れとしては「輪違い紋」について書いていくところですが、前回、「星紋」の話を書くと宣言してしまい、すでにネタ集めを始めていたので、流れを無視して「星紋」の話を書かせていただきます。


「星紋」のなかで、もっとも使用家が多いのは「三つ星に一の字」別名「渡辺星」ということになるかと思います。

「三つ星」の下に筆字の「一の字」。

外側に「丸輪」をつけたものも多く使用されています。


三つの星は、オリオン座のベルトの部分に並ぶ「ミンタカ」「アルニラム」「アルニタク」を表しています。
       渡辺星 この三星は、中国では「三武」または「将軍星」と呼ばれます。
中央の「大将軍」と「右将軍」「左将軍」で、「武神」と崇められる星です。

「一の字」は「一番乗り」「一番槍」を意味し、「かつ」とも読むことから、大変尚武的な意味が強い家紋です。

「毛利家」の「長門三つ星」は「一の字」が上にきます。

尚武的な意味は同じかと思いますが、「一の字」の書体も変え、紛らわしくないよう「一に三つ星」と言ったりします。
      長門三つ星
「渡辺星」についでよく使用されている「星紋」は、「九曜」でしょうか?

「曜」は、「光り輝く」ことを意味し、この場合「星」のことを指します。

「九曜」の九つの星は、古代インドの卜占(ボクセン 占い)で使われる、月、火、水、木、金、土、日の七曜に、羅?(らごう)、計都(けいと)を加えたものです。

この場合の七曜は、太陽系の星たちのことではなく、北斗七星を指すようです。
              九曜
「九曜」は、天体を支配する星たちで、これにより自然や人事も決まるという「星信仰」「妙見信仰」は、当時、多くの庶民や武士に、持たれていたようです。

貴族の間でも、牛車に「九曜」の文様をつけることで、呪符としていました。

つまり、お出かけの際の「お守り」です。

家紋として使用されるようになったのは、主に鎌倉時代になってからですが、シンプルで「お守り効果」も期待できるとあって、人気がありました。
              七曜
江戸時代には、大名で24家、その家臣で90余家が使用したとの記録もあります。

「星紋」で多いのは「三つ」と「九つ」ですが、その他の数で使われているも家紋もたくさんあります。

ほとんどは、中心に一つの星を置き、その周りに他の星を並べていく形式です。

一体いくつまであるかと、調べてみると「日本家紋総鑑」に、「十七曜」がありました。
            十七曜
さらに、弊社の記録を見ると、少し変則的な並べ方ですが、「十九曜」の原画がありました。

家紋屋としては、あまり星の数が多いと、描くのが大変になりますが、基本的には、丸をいっぱい書いていけばいいので、「三十曜」とか「四十曜」でなければ、まあ大丈夫、といったところです。
       十九曜

オリンピックと関係のなさそうな、「星紋」の話ですが、「オリンピックシンボル」も○、メダルも○、たくさん星をとって万々歳!ってことで・・・。


しかし、今回のオリンピック、時間帯が厳しかったにもかかわらず、かなり頑張って観てしまいました。


史上最高数のメダルを取るほど、日本選手が好成績だった、というのもあるかもしれません。


ただ、日本人選手の活躍を期待しながら見始めたのにと、他国の選手のパフォーマンスに感動したり、負けた選手とともに悔し涙を流しそうになったり、だんだんオリンピックという舞台に、魅せられていったように思えます。




やっぱり、スポーツはいいなぁ・・・って思います。


メダルを手にした選手、あと少しで届かなかった選手、力を発揮できなかった選手、皆さんお疲れさまでした。


感動をありがとうございました。




私も9月には、地区の体育祭のムカデリレーに出ます。






31,月紋の話


前回、金環日食に絡めて「日足紋」の話を書かせていただきましたが、後から考えました。


「日食とは、太陽と月が重なる天体現象・・・。月のこと、ほとんど書かなかったな・・・。」


別にここで私ゴトキが月のことを書こうと書くまいと、月が気分を害して地球に体当たりするとか、一人大宇宙に旅立つとかはないのですが、話のネタに上がったからには、無理矢理でも家紋の話につなげていかないと、なかなか書く機会がつかめず、早い話、ネタに困るのは私なのです。


というわけで、大変不純な動機且つ完全にタイミングを逸した感はありますが、「月紋」について書かせていただきます。(ヒラキナオオッテマス)


まん丸い満月は、家紋とした際に「日の丸」と見分けがつきません。
「日の丸」は皇室の家紋でありますから、紛らわしい家紋は、なかなか使いにくいことが多い。

そのためか、満月を家紋としている例は、非常に限られています。

左の家紋は「岩城?子に月(いわきれんじにつき)」という家紋です。
「「岩城立引(いわきたてびき)」とも言われますが、中心に描かれているのは「満月」です。
     岩城れん子に月 「?子」とは粗く組まれた格子窓で、そこから見える満月を図案化しています。
鎌倉時代の武家「佐竹氏」が使用したのは、「五本骨扇に月丸」。

「日の丸扇」とどう違うのかと言えば・・・・・・。

変らないかな・・・。

しかし、同じ様には見えますが、扇の中は日の丸ではなく、「満月」なのです。

佐竹氏は、鎌倉名越の自宅に家紋を模った庭園も造ったそうです。
       佐竹扇
「黒田月に水」は、月の上を水が流れています。

空中に川は流れないので、池か湖に映った満月を、図案化したものでしょう。

何とも風流ですね。




このように、満月を家紋と使用する場合、他のモチーフと組み合わせて使用されました。
      黒田月に水

月は欠けても、やがてまた満月となることから「不老不死」「生命保全」の象徴ともいえます。


家紋として「満月」が使用しにくいためか、一見して月と分かる「三日月」が、家紋には多く使用されています。


       真向い月        月に星        月に霞

「日・太陽」が「生命力」や「活力」を思い起こさせるのに対し、月は「やすらぎ」や「静謐」を感じさせます。


戦に用いる旗印には、いささか迫力不足かもしれませんが、とても優雅で風流な家紋と言えるでしょう。






「金環日食」に乗っかって、あわてて「月紋」の話を持ってきましたが、落ち着いて考えるに、秋頃、「十五夜」にかけても良かったのかな・・・と思い返しました。      ま、いいか・・・。




そうだ、次は「星紋」の話にしよう。   ・・・って懲りてないじゃん。








30,金環日食



5月21日の月曜日、金環日食を観測された方も多いかと思います。


弊社のある静岡県富士市は、観測可能な地域の中でもかなりベストなライン上にあり、曇り空ではありましたが、時折雲が途切れる瞬間、運良く金環日食を観察することができました。


以前、皆既日食が発生した時は、生憎の雨で全く実感がありませんでしたが、今回は親子そろって、不思議な体験に、盛り上がってしまいました。


太陽は太古のより、信仰の対象でした。

生命力の源であり、力の象徴で、多くの武将は旗指物に太陽を表す「日の丸」を描きました。

当然、家紋にも多く使用されそうなものでしたが、そうはなりませんでした。
        日 月 皇室が使っていたからです。

皇室の紋には、「八重十六菊」または「「五七桐」がありますが、実はそれらが使用される以前より「日月(じつげつ)」の紋を使用していました。


日月紋は同じ大きさの円を二つ並べて描いたもので、それだけでは、どちらが日でどちらが月なのか、見分けがつきません。


錦の御旗に描く際は、日を金、月を銀で描きます。


鎌倉時代、後鳥羽上皇が、衣服や様々な調度品に、菊の文様を入れて使用するようになると、朝臣たちは使用を控えるようになり、菊の文様は、上皇ご専用の紋と見られるようになります。

こうして菊紋は皇室の紋となりますが、天皇のご紋が「日月紋」であることに変わりありません。

実際、現在も皇室で使用される錦の御旗には、「日月紋」が描かれています。
      八重十六菊
「日月」のように、太陽を単に「円形」で描いた紋を、「日の丸紋」といい、放射状に光芒を添えたものを「日足(ひあし)紋」と言います。

「日の丸紋」も旗印には使用されましたが、何しろ皇室の紋ですから、家紋として、他の武家に使用されることは、あまりありませんでした。

しかし、「日足紋」は一見して他の紋であることから、「日の丸紋」に比べ、使用家は多くありました。
       八つ日足
備中足守藩は、豊臣秀吉の妻「おね」の実家である木下家から出た大名ですが、秀吉から「菊紋」を下賜された際、「畏れ多い」として、花芯部分を「三つ巴」に、花弁を「日足」に改めて使用したといいます。

確かに「日足紋」と「菊紋」は、ぱっと見て、似ていると言えなくはありません。
       木下日足

「日足紋」には、光芒が、外に向かって広がっているものと、逆に細くなっていくものがあります。


細くなっていくものを「尖り日足」と言いますが、使用家は多くありません。


     尖り十六日足       大村日足     細輪に尖り日足に水

「日の丸紋」は、その由来ももちろんですが、シンプルでよく目立つことから、戦場での「旗印」や、船に掲げる「船印」としてよく使用されました。


幕末の1854年、幕府より「日本の船は、白地に日の丸を用いて、外国船と間違われないように」というお触れが出ます。


そして5年後の1859年、「日の丸」は日本国旗に制定されるのです。




オリンピックも近づいてきました。


ロンドンの空に、少しでも多くの「日の丸」がたなびくことを、期待したいですね。






29.NKH大河ドラマ「平 清盛」



この冬は、富士山になかなか雪が積もりませんでした。


冬、富士山に雪がないと、なんだか寂しく感じてしまうのは、富士市民だからでしょうか?


年が明けて、東京に大雪が降った日、ようやく冬バージョンの富士山が登場しました。






今年の大河ドラマは、「平清盛」。主演は松山ケンイチさんです。


大河ドラマ「平清盛」ホームページ http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/index.html


いつも、本ホームページでも「様々な家紋」のページに「大河ドラマの登場人物の家紋」の欄を作るのですが、今回はなしです。


平清盛が生きたこの時代は平安時代末期、公家達は識別と自己顕示のため、自分の牛車に、有職文や好みの特定の文様を入れるようになり、それが家紋の始まりの一つと言われています。


しかし、武士という存在はまだ生まれたばかりで、家紋を使用するようになるのは、まだ先です。


「平清盛」の家紋としてよく言われるのは「揚羽蝶」です。

しかし、これは「平清盛」が使用した家紋と言うわけではなく、清盛の系統である「伊勢平氏」が、後に「蝶紋」を使用するようになった、というくらいの意味です。

蝶が家紋として使用されるようになったのは、その文様としての美しさが大きな理由でしょう。

その完成度の高いデザインは、昔から人気があったらしく、多くの武家が、様々にアレンジされた蝶紋を使用しています。
       揚羽蝶
       鎧揚羽蝶        保倉蝶       光琳揚羽蝶
       織田蝶      真向き揚羽蝶       向い揚羽蝶
      池田向い蝶      三つ追揚羽蝶      中陰光琳飛蝶
       飛揚羽蝶         浮線蝶         備前蝶
      月星浮線蝶         向い蝶         三つ蝶
       伊豆蝶       三つ飛蝶        光琳胡蝶

使用家の多くは、清盛を輩出した「伊勢平氏」を含む「桓武平氏」の系譜ですが、何しろ「蝶紋」は人気が高かったらしく、後には「清和源氏」の系譜の武家でも使用するようになっています。




「揚羽蝶」の紋は、代表的な家紋の中では珍しく、左右対称ではありません。


しかし、その構図は大変完成度の高い、優れたものです。


他のモチーフを「蝶紋」に見立てた「見立て紋」は数多く見られますが、「揚羽蝶」に見立てたものが最も多いのも、その為でしょう。


        桐蝶        澤瀉蝶        銀杏蝶
       南天蝶         柏蝶        茗荷蝶
        扇蝶        変り藤蝶         柏飛蝶
       桔梗飛蝶        飛蝶桜        飛蝶藤
       桔梗胡蝶        橘胡蝶      中陰剣片喰胡蝶

名称の規則性がおかしいのは、紋帳により名称が異なっていることが多いためです。(どの紋も、すべての紋帳に記載されているわけではないため、紋帳での名称をそのまま記載しました。)




「浮線蝶」の「浮線」とは、大きな左右対称の円形模様である「浮線綾(ふせんりょう)」のことで、これは布に文様を織り込む技法を表します。


「浮線○○」と言う名称の家紋は多くありますが、いずれも「浮線蝶」の「見立て紋」と言える文様です。


これは「浮線綾」で描かれた文様の中でも、「蝶」をモチーフした文様に人気があったためでしょう。


     浮線鷹の羽        浮線片喰         浮線菊

今回、「平清盛」という題で書き始めたのに、「蝶紋」のことばかりを書いてしまいました。




「平清盛」の登場人物は、当然のことながら着物を着ています。


この着物、時代に合った風合いを出すために、絹のものも、木綿のものも、ほとんどの着物を「ストーンウォッシュ加工」を施しているのだそうです。


「ストーンウォッシュ」とは、ジーンズなどに古着感を出すため、「石」を入れた洗濯機で洗うというもの。


これを着物に施すとは前代未聞で、この提案には、NHKの衣装部も「それはありえないいでしょう」と大笑いされた、と人物デザイン監修の柘植伊佐夫さんは話しています。


その為あってか、あまりなじみのない「平安時代末期」の雰囲気は、とてもよく出ているような気がします。




「埃っぽくてキタナイ」と、一部で苦情が出たという映像ですが、私は「かなり好き」です。







参考文献  泡坂妻夫著「家紋の話〜上絵師が語る紋章の美」新潮社、丸山浩一著「家紋由来帳」日栄出版、本田總一郎監修「新集家紋大全」梧桐書院、千鹿野茂著「日本家紋総鑑」角川書店、丹羽基二著「家紋と家系事典」講談社、加藤秀幸解説「別冊歴史読本 日本の家紋6000」新人物往来社、大隈三好著「家紋辞典」金園社、澤等監修「イラスト図解 家紋」日東書院 他(順不同、敬称略)


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