家紋の総合メーカー
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家紋の話あれこれ2008年


10、魚の家紋は何故ない?


先日、息子と近くの海岸に釣りに行ってきました。

私も息子も、まだ釣りは始めたばかりの初心者で、この時期何が釣れるのかさえ良くわからないまま出掛けました。

たまたま堤防上で、市民マラソンの大会があった為か、釣りには良くない条件だったのか、いつも沢山見かける釣り人が、その日に限ってほとんどいません。

釣りを始めても、案の定、全くあたりがきません。
私は、「これはアカン」と早々撤退しようとしたのですが、息子は粘
      浪に千鳥 ります。

持参したオニギリも食べてしまい、早く帰ってビールでも飲みたくなってしまった私は、息子に、「キョウハダメソウダヨ、コンナヒモアルサ、ソロソロカエロウヨ」などと言ってみるのですが、最近なんだかシッカリモノになってきてしまった息子は「この海岸で今までボウズはない、もう少し頑張ってみる。」などと言って粘ります。


仕方なく、私も付き合って竿を出していたのですが、やっぱりダメです。


夕方には所用もあり、さすがに時間いっぱいになってきましたので、「もう一回投げてダメなら、あきらめよう」と息子の了解を得て、最終投擲したところ・・・、掛かりました。


なんだか申し訳ないような、小ぶりの鯛です。

リリースしたほうがいいのかと迷いましたが、とにかく唯一の釣果とさせていただき、晩御飯には煮付けになって、息子の腹に収まっていきました。(家族皆でつつくにはサイズ的に無理でした。)


私達のショボイ釣果はさておき、家紋の話です。

日本は海に囲まれた島国で、人々の生活に、魚は大変身近な存在でした。


ところが、あれだけ様々な素材が使われている家紋には、不思議なことに魚は全くといっていいほど、見当たりません。




家紋は、その素材にかなり偏りがあります。


もともと、植物は多く、動物は少ない。鳥では、鶴や雀、千鳥、雁がほとんどで、それ以外は大変少ない(例外的になぜか鷹は羽根だけを使用したものが多く使用されている)。蝶は多いのに、それ以外の虫はごくわずか・・・。


その中でも、魚が全く登場しないのは本当に不思議です。


魚の家紋はありませんが、そのほかの海や川の生き物は、意外と種類があります。


 中でも貝類の家紋の種類は多く、「巻貝」「法螺貝(ほらがい)」「兜貝(かぶとがい)」「板屋貝(いたやがい、いたらがい)」「蛤(はまぐり)」・・・紋帳には載っていないのですが、「さざえ」なんかもあります。


     兜貝     板屋貝      三つ蛤     法螺貝

法螺貝は多くの場合、山伏や戦場で使われた、吹き鳴らす加工を施されたものが、家紋には描かれています。


他に海川の生き物としては「海老」「蟹」「亀」など。


   海老の丸       蟹      上り亀    真向かい亀

海老は、長い髭や曲がった腰が長寿を連想させ、おめでたいものとされていることから、家紋に使われたのでしょう。


蟹は、硬い甲羅が甲冑を、振りかざすハサミが刀を思わせ、武家に好まれたといわれます。家紋になっているのは、浅い海に住むガザミと川にすむ石蟹(沢蟹)と思われます。


亀はいわずと知れた長寿のシンボルです。足に爪があることから、家紋のモデルは海亀ではなく、石亀、草亀といった種類のようです。


ちなみに耳があり、甲羅から毛のようなものが生えている亀を、紋章の世界では「蓑亀(みのがめ)」と呼びますが、これは毛ではなく、藻のようなものだそうで、中国にはこういう亀が本当にいるそうです。(こんなに突き出た耳はないと思いますが・・・。)




家紋に魚が見られないのは、殺生や肉食をいさめた宗教の影響ともされますが、それだけでは、説明できないような気がします。


水族館などが無い時代、魚は食材として、死んでしまったものしか見る機会が少なかったからでしょうか?海老、蟹、貝など水から揚げても、比較的長く生きているものは、家紋として残っていることを考えると、そんな気もします。


今の時代だったら、いろんな魚や、イカ、蛸、クラゲなんて家紋も生まれたかもしれませんね。




9、肝付家の家紋


前回お話させていただいた「肝付尚五郎の家紋」、鹿児島在住の方が、尚五郎の父、兼善のお墓の家紋を、送ってくださいました。


やはり、「尻合せ四つ結び雁金」で間違いないようです。

薩陽武鑑に描かれていたもの(「篤姫」で使用されていたもの)は、この図柄を簡略化したものと考えていいでしょう。

前回も申しましたが、「尻合せ四つ結び雁金」という家紋は、紋帳その他の資料にも、ほとんど掲載されていません。
それだけ、使用家が限られている家紋なのでしょう。

私が頭を悩ませた「肝付尚五郎の家紋」、一応結論が出ました。   ヨカッタ・・・・・。


私の無知と想像力の欠如をフォローしてくださった情報提供者の方には、本当にお世話になりました。(わざわざ写真を撮りに出かけてくださったのですっ!)


この場を借りて、今一度お礼申し上げます。




8,NHK大河ドラマ「篤姫」がらみでpart3


前回更新してから、しばらく間が空いてしまいました。


仏具用の家紋が、お盆の前に多く出るもので、そちらが急がしかったことと、本ホームページ上の「様々な家紋」の「各宗派紋」に関して、かなりひどい誤りがあることに気が付いて、冷や汗を掻きながら訂正するのに、時間がかかったのが理由です。


「各宗派紋」では掲載紋を18→27に増やしましたので、興味のある方はどうぞ。http://www.kamon.ecweb.jp/2801.html


さて、またまた「篤姫」ネタで書かせていただきたいと思います。

篤姫が天璋院となり、皇女和宮や勝海舟、坂本竜馬といった新たな人物も登場し、新局面を迎えました。

堀北真希さん演じる和宮と、宮崎あおいさん演じる天璋院とのやり取りは、取り巻きたちを巻き込んで、妙な緊張感があり、目が離せません。

また、坂本竜馬を玉木宏さんが演じることについては、我が家の女性陣は「二枚目過ぎる!」だの「ちょっと線が細い感じ」などど、登場する前から騒いでおります。


私的には、今まで竜馬を演じてきた役者さんたちが、どちらかといえば、骨太で男っぽいイメージでしたから、逆に新しい竜馬を作ってくれそうで、期待しております。




さて、家紋屋のホームページですから、家紋のことについても書かせていたいただかなければなりません。


瑛太さん演じる小松帯刀が、改名する前の、肝付尚五郎の家紋に関することです。(ヤヤコシイですね)



左が、ドラマでも使用され、「薩陽武鑑」という本にも記されている肝付家の家紋ですが、私には恥ずかしながら、名称どころか、何を表した家紋なのかも、わかりませんでした。

この「家紋の話あれこれ」の「4、再び篤姫のこと」の最後で、この家紋の名前について、「どなたか教えてください!」と助けを求めたところ、先日、鹿児島在住の方がメールを下さいました。

そして、肝付尚五郎の家紋は「尻合せ四つ結び雁金」に似ている家紋、と教えてくださったのです。
          
薩陽武鑑にある肝付家家紋        なるほど、「尻合せ四つ結び雁金」か!

今更ながら、己の想像力の無さにがっかりしました。


肝付家の家紋を調べている段階で、全国的な肝付家の使用家紋に雁金紋があることは、何度か目にしていたのですが、上記の家紋の図柄に、雁金紋に当てはめることが出来ませんでした。


雁(かり)、雁金(かりがね)とは、文字通り、渡り鳥の雁(がん)です。

鳥の体を「結んでしまう」とは、すごい発想ですが、「雁金紋」は愛嬌のあるデザインで、様々な組み合わせを用い、多くの種類があります。

ただ、紋帳に記載されている結び雁金紋は、一つから三つまで、「尻合せ四つ結び雁金」という家紋は、紋帳には記載されていません。
 尻合せ三つ結び雁金 左は紋帳に載っている「尻合せ三つ結び雁金」です。
これが、「頭合せ」となると、頭を中心にむけるわけです。

四つの結び雁金となると、左の「尻合せ四つ重ね結び雁金」(長い名前っ!)が載っています。

体や羽が、重なり合っていて、「四つ宝結び雁金」とも呼ばれます。
「宝結び」とは、紐を美しく結んだ形で、装飾に使われました。
尻合せ四つ重ね結び雁金 紋帳に記載されていないからといって、存在しないわけではあり
ません。
紋帳に載っているのは、数多くある家紋の中の、一部です。

さて、重なっていない、普通の「尻合せ四つ結び雁金」を試しに描いてみました。

円形に切り取った時、羽の先端と頭の上端が、円に沿うように描くとこうなりますが、これだと、顔が小さくなってしまい、少々窮屈そうです。
あえて、顔を大きく描くと、左のようになります。

だいぶ、「薩陽武鑑」に記載されている家紋の印象に、近づいてきましたが、結んでいる体の間隔を少し広げて、くちばしを外側に向けると、右のようになります。
さらに、羽を伸ばして、重なりを作ってみます。

「薩陽武鑑」に記載の家紋を、結び雁金で作ると、こんな感じでしょうか?

なんとなくわかったような気がして、一人ニマニマしていたところ、前述の方から続報が届きました。(実はずうずうしくも、詳細について教えて欲しいと、お願いしたのです。)


そのお話によりますと、肝付尚五郎の父、兼善のお墓に件の家紋があるとのことですが、ドラマの家紋とはずいぶん違うとのこと・・・・・・。


さて、どんな家紋なのでしょうか?肝付尚五郎の家紋解明は、もう少し先の楽しみになりそうです。


7,「CHANGE」に出てくる家紋  日本国政府紋章・・桐


フジテレビの月9ドラマ「CHANGE」。


小学校教諭の朝倉啓太(35)が、事故死した衆議院議員だった父親の跡を継ぎ、初当選した直後、大物政治家の思惑によって、総裁選に出馬、なんと内閣総理大臣となってしまうのですが・・・というお話です。


主人公の朝倉をSMAPの木村拓哉さんが演じております。


  フジテレビドラマ「CHANGE」公式ホームページ http://wwwz.fujitv.co.jp/change/index.html


さて、このドラマのタイトルバックに「五七桐(ごしちのきり)」の旗が出てまいります。


「五七桐」は日本国政府の紋章であり、また、内閣総理大臣の紋章でもあります。

ビザやパスポートなどの書類の装飾に使われたりしていますし、実際、内閣総理大臣が演説する際の演台にも、「五七桐」のプレートが付いています。

総理大臣官邸では、以前から外国の賓客の接遇のための晩餐会等の招待状や食器、閣議室の大臣席の硯箱や大臣の表彰状などに、「五七の桐」を使用しているそうです。
     五七桐 また、首相官邸のホームページにも描かれています。
http://www.kantei.go.jp/

この「五七桐」ですが、もとはといえば左の「八重十六枚菊」と同様、天皇家の家紋です。

桐紋は、足利尊氏や豊臣秀吉、織田信長等、功労のあった武将や将軍に、朝廷から下賜されることも多かったことから、「桐紋」は「政権担当者の紋章」、といった意味合いを持っていきました。

そのことで「桐紋」は、武家にとって憧れの家紋となっていったのですが、将軍たちもまた、家来や家臣に賜与したこともあり、その
     八重十六枚菊 使用家はあまりに多くなってしまいました。

実際、徳川時代の大名や旗本の系譜集「寛政重修諸家譜」によると、桐紋の使用家は473家に及び、全体の20・77パーセントに達します。

その為もあったのしょうか、徳川家康は桐紋の下賜を丁寧に断り、その代わりに葵紋の独占使用するようになりました。

徳川幕府は葵紋の使用規制をしましたが、桐紋に関しては、特に何の規制もなかったこともあり、一般にも、桐紋は多く使われるようになりました。
       徳川葵 桐紋は高貴なイメージがあっただけでなく、何よりその完成された美しさが際立っていたことも、普及の大きな要因と思われます。

「桐の木には鳳凰が棲む」という伝説が中国にはあります。


平安時代初期には、日本で桐の文様が使用されいるのも、中国文化の渡来とともに、こういった思想が伝わってきていたからでしょう。


鳳凰が住むのは、中国の青桐ですが、文様化されているのは、日本原産の白桐です。


白桐の花の形は、500円硬貨の表側を見ていただければよくわかりますが、まさしく「桐紋」の形です。


桐紋は武家のみならず、町民の間にも広く使用されていたため、昔は貸し衣装の紋付には「五三桐」が付いていたものでした。


その形の美しさとともに、誰が使用しても許される家紋となったのです。


最後に、多くある桐紋のバリエーションの一部をご紹介しておきましょう。


   多度桐    對州桐    福井桐     芋桐    上杉桐
   新田桐    埋み桐     藤桐   五三花桐     踊桐
  五枚鬼桐   総陰五三桐   陰上田桐    嵯峨桐     鷺桐
    花桐    桐崩し   下り花桐     桐車    浮線桐
  五七割桐   三割五三桐   三寄せ花桐   桐揚羽蝶   桐の枝丸

繰り返しますが、本当にこれは「バリエーションの一部」です。


しかし、感心するのは、「どれもが美しい形にまとまっている」ということです。


「桐」という素材がよかったということもあるでしょうが、先人たちのセンスに脱帽です。


ところで、話は「CHANGE」に戻りますが、木村拓哉さん扮する総理大臣のSPの役で、岡田准一さんや真木よう子さん、ちょっとでいいから出てくれませんかね。


同じフジテレビだし、二人ともカッコよかったですから・・・。


       フジテレビ ドラマ「SP」公式ホームページ http://wwwz.fujitv.co.jp/sp/index.html






6,琴欧洲 優勝


大相撲夏場所で琴欧洲関が優勝しました。


私も好きな力士の一人ですので(さほど相撲に詳しいわけではないのですが)、応援しておりました。


さて、その優勝パレードや祝賀会の際、琴欧洲関は紋付を着ていたわけですが、付けていた家紋は「丸に蔦(ツタ)」でした。


ブルガリアに家紋はありませんので、どうして「丸に蔦」にしたのだろう?と思ったのですが、佐渡ヶ嶽親方も同じ「丸に蔦」の紋付を着ていたそうです。

とすると、家紋を持っていない外国人力士の場合、親方の家紋を使うものなのでしょうか?

また、タニマチが紋付を揃えてくれた場合、そのタニマチの家紋で作るとの話もありますので、そちらかもしれません。
           丸に蔦 どうせなら、自分の好きな家紋を選んで、「もともと家紋を持って

いなかったけど、これを自分の紋にすることにしました、ごっつぁんです。」と決めるのもいいと思うのですが・・・。さて、この「丸に蔦」。いかにも家紋らしい、いい形の家紋です。


「蔦の絡まるチャペルで、祈りを捧げた日・・」で始まる歌もあり、なじみの深い植物の一つです。


蔦は子孫繁栄の象徴として、広く家紋に使用され、徳川吉宗も、葵紋のほかに蔦紋を使いました。


ところで、この蔦紋、形は実物の蔦の葉を図案化して、きれいな形を構成していますが、外郭に使われている「丸輪」とは別に、中心のやや上に、小さな丸があるのにお気づきでしょうか?


花の「がく」ならわかりますが、葉っぱの付け根や葉脈の中心に、「丸」なんてあったでしょうか?


実はこの小さな丸、蔦紋以外の多くの家紋にも使用されています。


  五三鬼桐   八つ剣菱  八つ鷹の羽車   蔓剣片喰   六つ丁子

つまり、この小さな丸、何かの実在のものを表しているわけではなく、視覚的に、家紋の文様を安定させる為に使用されているのです。


いくつかのパーツを組み合わせた家紋の場合、この「小さな丸」がないと、いかにもばらばらになってしまいそうです。


見た目は小さく、何気ない存在ですが、その果たす役割は、かなり重要な「丸」なのです。








5、サッカー日本代表のエンブレム「三本足烏」


北京五輪においてサッカー日本代表U23が、JFA(日本サッカー協会)のエンブレムを使用できない可能性が高いと報じられております。


IOC(国際オリンピック委員会)の、メーカー商標以外の商標の使用に関するガイドラインが厳しくなったためのようです。


JFA(日本サッカー協会)のエンブレムといえば「三本足の烏(カラス)」。


       日本サッカー協会のオフィシャルページ http://www.jfa.or.jp/


カラスは古代から「神の使い」とされており、家紋にも古くから使用されています。


「古事記」「日本書紀」には、神武天皇が大和に向かう折り、道に迷った際に八咫烏(ヤタガラス)が表れ、大和への道案内をした、と記されています。

その為、和歌山県の熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三つの神社の総称)では、この八咫烏が神の使いとして祀られており、熊野神社に仕える鈴木氏とその一族の独占紋として、使用されています。
  烏(カラス) また、西日本地方の鎮守様にも「烏祭り」があったり、民間でも、正月にカラ

スを呼ぶ習慣があるなど、カラスは広く「神使」として、考えられていました。


あの「織田信長」を苦しめた鉄砲傭兵集団「雑賀衆」の旗印が「八咫烏」だったことは有名です。


ところで、「八咫烏」は「三本足」である、というのが一般的で、JFA(日本サッカー協会)のエンブレムも「三本足のカラス」です。


ところが家紋で見ると、「三本足のカラス」の家紋は多少見られるものの、どうも古いものではないようです。


また、「古事記」「日本書紀」にも、「八咫烏は三本足」といった意味の記述は無いようで、いつの間に「八咫烏」が「三本足」ということなったのかは、はっきりとしません。

中国では、太陽の中に「三本足のカラス」が住んでいるといわれており、その話が取り入れられた為かとも思われます。
   那智烏 上記のように、カラスを「神使」とする考えは、日本以外にもあったのですが、欧米では忌み嫌われることが多い。

これは、「旧約聖書」の「ノアの箱舟」の中で、箱舟からノアが放したカラスは、とうとう戻らず、その後放った鳩がオリーブの葉を咥えて帰ってきた、ということが大きいようです。

それ以外にも様々な理由があったようですが、欧米では鳩は「平和の象徴」となり、その真っ黒い姿も不吉とされたカラスは、「悪魔の使い魔」となってし
   向い鳩 まいました。

現在、烏紋を使用している家が、極端に少ないのは、もともと使用家が限られていたことに加え、この「カラスは不吉」という考え方が、輸入されてから、烏紋を他の紋に替える家が多かった為、とされています。


しかしながら、理由は他にもあったのでは?と私は考えます。


それは、「カラスは真っ黒」だから、という理由です。


黒いから不吉をイメージする、などという話ではなく、家紋の場合、色の話がからんでくると、何かと使いにくいのです。


家紋を描く場所は、白いところばかりとは限りません。黒や紺といったところに描く場合も数多くあります。

その場合は白や朱、金、銀といった色で描くことになります。

「黒餅(クロモチ)」という家紋があります。
  黒餅(白地)   黒餅(黒地) 餅は延年長寿の印であるし、形もシンプルで判りやす
いことから、古くから旗印や家紋として使用されていました。

「黒餅」がある以上、「白餅」という家紋もあるのですが、左の絵を見ていただければ判るように、地が白か、黒かで餅の色が逆転してしまい、大変まぎらわしいのです。
  白餅(白地)   白餅(黒地) その為でしょうか、使われるのは「黒餅(クロモチ、コク
モチ)」だけとなり、それでも判りにくかったためか、呼び名も、石高の増加に掛けて、「石持(コクモチ)」の字を当てるようになりました。

現在では、この「石持」も単独で家紋として使われることはなくなりましたが、様々な家紋の外郭の一つ、もしくは描き方の一つとして、よく使用されています。
石持ち地抜き百足の丸 石持ち地抜き稲妻菱

さて、話を「烏紋」に戻します。


「烏紋」には「黒餅」「白餅」と違い、名称に色が含まれているわけではありませんが、「カラス」そのもののイメージは、まさに「真っ黒い鳥」です。


姿形に特徴がないわけではありませんが、「黒」のイメージが強すぎるのです。

そうすると、「烏紋」の場合、鳩だかカラスだか鳶だかわかりにくい。
やはり、カラスは真っ黒くてこそ、カラスらしく見えるのです。

左は、一番初めに載せた「烏」の紋ですが、黒地に白く描くと、やはりパッと
  烏(カラス) 見て、「カラス」とわかる人は少ないかもしれませんね。

やはり、家紋は様々な用途に使ってこそ定着していくもので、色や名称に関わらず、何かの理由で使いにくいものは、残っていくことが難しいようです。





4、ふたたび「篤姫」のこと


2回目になりますが、NHK大河ドラマ「篤姫」にでてくる家紋について書きたいと思います。


瑛太演じる「肝付尚五郎」。5月3日の放送で、小松家に養子に入り、「小松尚五郎」となりました。


「様々な家紋」のページの、「篤姫 登場人物の家紋」のなかでは、肝付尚五郎(小松帯刀)の家紋は「抱き鬼菊の葉」と紹介しています。

しかし、厳密にいえば、この家紋は小松家の家紋です。
つまり、養子に入って家紋が変わったわけです。
では、もともとの家紋である「肝付家」の家紋はどのような家紋だったのでしょうか。

いろいろ資料を見たのですが、薩摩の肝付家というと「鶴の家紋」があるようです。しかしながら、大河ドラマで肝付尚五郎が身につけている家紋は、どう見ても「鶴紋」ではありません。


ドラマの中で肝付家の家紋が出てくるたびに、覗き込むようにして見てみるのですが、どうにも見たことのない家紋で、正確な名称は愚か、一体何をモチーフにした家紋かさえ、わかりません。


そこで、恥ずかしながらNHKにメールで質問させていただいたところ、早速丁寧な回答をいただきました。


「家紋名はわかりませんが、薩陽武鑑という書を参考に家紋を使っております。」とのこと。


「薩陽武鑑」というのは、江戸時代に刊行された書で、薩摩藩上級家臣の略系図・家紋・当主名・役職・道具印・嫡子名・禄高等が記載されているものです。


しかしながら、手元にも近くの図書館にも、「薩陽武鑑」はないので、今度は鹿児島県立図書館にお願いしてみたところ、必要経費(コピー代、郵送代)を支払えば、コピーを郵送してくださるとのこと。


幸いNHKで、何ページのどこに載っているか、ということまで教えていただいたので、お願いする事にしました。


それで届いた薩陽武鑑の肝付家のページのコピー、鶴丸の家紋とともに、件の家紋がちゃんと載っていました。
この家紋です。

えっ?これってやっぱり何の家紋だろう?

「薩陽武鑑」には家紋の名前までは、記載されていません。

正確な文様がわかったところで、もう一度手元にある紋帳、資料集、研究書をひっくり返して調べてみたのですが・・・・・・残念ながらはっきりしませんでした。


全く同じものが見つからなくても、想像力を働かせ、文様の構成、部分的な特徴、もっといえばパッと見て何に見えるか?で、モチーフくらいはつきとめたかったのですが・・・。


どなたか、この家紋の名称がわかる方、ぜひ、お知らせください。kamon@rhythm.ocn.ne.jp






3、家紋メーカー


少し前に「脳内メーカー」というサイトが話題になりました。


私もやってみましたが、結果は・・・・・・・・・ちょっとここでは言えません。


その流れでしょうか。今、通称「家紋メーカー」というサイトがあるのをご存知でしょうか?


正確には、「KAMONジェネレーター」といって、名前と生年月日を入力すると、「あなただけの」家紋を作ることが出来る、というものです。


コカコーラが新発売した、「綾鷹」という緑茶飲料のホームページ内にある、ゲームのようなコーナーに設置されています。http://ayataka.jp/#fun-kamon


そこで、私もやってみました。


「丸に心の字丸」といった感じです。
なかなか、格好良いと思いますがいかがでしょうか?

なぜ、あなたはこういう家紋になったか、という占い風の解説もあり、「そういうものか・・う〜む」となりました。

この家紋、もちろん紋帳には載っていません。確かめることは難しいですが、おそらく実際に使用している家もないかと思います。


その他、家族や友人の名前を使っていろいろ試してみたのですが、普通の家紋(?)には使われない素材(たとえば豚くん)を使ったりしていて、それでいてちゃんと家紋らしくなっていて、いやはやすごいものです。


よく見てみると、「家紋デザイナー沖のりこ他デザイナーにより製作された」、とのこと。


沖のりこさんのことは、ご自身のホームページ等も拝見し、以前より存じ上げておりました。


    沖のりこさんのホームページ   http://okinori.com/


私の名前でできた上の「丸に心の字丸」は、作風からいって違う家紋デザイナーさんのものだと思いますが、沖のりこさんのデザインは「海亀」や「ビーチサンダル」といった、ユニークなものをモチーフに、新しい家紋を創りあげており、すばらしいものだと思います。


「新しく家紋を作る」というと違和感を覚える方もいるかと思いますが、江戸時代後期になってできた家紋は、古来からのものに比べれば少ないですが、かなり使用されています。


しかしながら、これが明治以降に作られた家紋となると、実際に使用されているものは、あまり多くはありません。


千鹿野 茂氏の「日本家紋総鑑」は、氏が三十数年間をかけて全国を回り、墓石から拓本した家紋約二万種を掲載した大作ですが、この中には「新紋」として32点のものが掲載されています。


その中には、「碁盤」や「洋琴」、「三角定規」「や「麻雀の牌」、なんと「ヘリコプター」までがあるのですが、同時に、氏は「一代限りの紋」で「厳密には家紋とはいえない」とも述べています。


  丸に碁盤    洋琴  丸に三角定規   麻雀の牌  ヘリコプター

これらの紋は、やはり紋帳には載っていません。では、明治以降に作られた家紋は、紋帳に載っていないかというと、そうでもありません。


蝋燭(ろうそく)紋は数種類、紋帳に載っています。

家紋になっているのは、現在多く使用されている洋式蝋燭ではなく、日本蝋燭のほうです。

もともと江戸時代から商標として使用されていたものが、家紋に転用されたようです。
丸に一本蝋燭
鋏(はさみ)紋も、紋帳に数種類載っていますが、こちらもX型の洋式はさみではなく、和式のはさみです。

このはさみは、裁縫道具に今でも使われているので、若い方でも、目にしたことがおありかと思います。
 丸に違い鋏
左の家紋は「海軍錨」という家紋です。

錨の家紋は、和舟用のものと、汽船用の洋式錨が、数種類紋帳に載っていますが、どれも比較的新しく、江戸時代以降のものが多いようです。

「海軍錨」は言うまでもなく、戦時中に作られた家紋です。
   海軍錨
見ての通り、まさに土星です。

紋帳でも「星」の項目に、「渡辺星」や「九曜」と並んで載っています。

詳細はわからないので、断言は出来ませんが、輪まで描かれていることを考えますと、明治以降に作られたのではないか、と思います。
 土星に天体

上記の家紋はたしかに紋帳には載っていますが、実際使用している家は、極少数か、ほとんど無いようです。


家紋の使用目的や頻度が、昔と変わってきたことは大きいでしょうが、新しい家紋が定着し、代々受け継がれていくのは、なかなか難しいようです。






2、あれっ、これって家紋?


普段の生活の中で、自分の家の家紋を目にする機会は、昔に比べ減ってきたようですが、逆に思わぬところで家紋(?)を発見することがあります。


ファッションの世界では、すでに「和柄」は確たる地位を築いており、家紋の入ったTシャツを着ている人を見かけることも珍しくありません。


ルイ・ヴィトンのモノグラムが、家紋を基にデザインされているといわれていますが、たしかにそんなようにも見えます。http://www.vuitton-style.com/cl/mon/


しかし、よく見てみると全く同じ家紋はありません。近いところでは「七宝反り花角」でしょうか?中の花は、4弁の桔梗といった方が近い感じです。

19世紀末には、家紋は海外にも紹介され、現在でも多くの本が出版されています。デザインとしての家紋の評価は、世界的に極めて高く、デザインの勉強の際には、大変重要な教材といわれておりますので、影響を与えたことは間違いなさそうです。
七宝に反り花角

浅草の浅草寺を見た外国人が「日本にナチスの建物がある!」と驚いたという話があります。


削除 ナチスのマーク「ハーケンクロイツ」は日本語に訳すと「鉤十字」。ヨーロッパでは、ナチとファシズムの象徴として、未だ使用するのはタブーであり、ドイツでは、公の場での使用を、法律で禁止しています(学術的な場合を除く)。

ハーケンクロイツは、家紋風にいうと、「石持ち地抜き隅立て五つ割右万字」となります。(周りが赤ということは別にしてですが)
ハーケンクロイツ
一方、浅草寺の寺紋は「丸に五つ割万字」。
卍は、古代インドでは最古神ビシュヌ神の胸の繊毛、古代バビロニアやアッシリアでは太陽の象徴として、また他の多くの国で、神聖な記号とされています。

日本に伝わってきた際には、太陽と仏を表象する吉祥の相、万徳の集まるところとされました。
丸に五つ割万字

ところで、アメリカの人気テレビドラマをDVDで見ていた時、緊迫したある場面に、家紋によく似たマークが登場し、びっくりしました。


アクション映画好きな方、医療機関で働いている方ならお分かりかもしれません。

このマークはバイオハザードマークといい、生物学的危険指標を表すもので、感染性廃棄物の容器などに貼られるものです。

国際規格で定められているれっきとしたものですが、一般人にはなにやら恐
バイオハザードマーク ろしげで、あまりお目にかかりたくないマークです。
一説によるとオニユリの花がモチーフとか?
家紋で「百合の花」というと右のような家紋です。

これも「えっ?」って感じですが、百合の花を上から見ると、こんな風でしょうか?
不思議とバイオハザードマークと、なんとなく共通点もあるような・・・。
  百合の花 写実的な、美しい家紋で、比較的近世に使用された新紋の一つです。
右の家紋の「三つ大の字」。

こちらの方は、まさにそっくりです。この家紋は、「源平盛衰記」において、梶原景時の子、景季が直垂に用いたといわれる古いもので、上下が逆になったものもあります。
 三つ大の字





1、NHK大河ドラマ「篤姫」のこと


最近、多くの人がよく目にする家紋について書こうと思います。


NHK大河ドラマ「篤姫」、島津家の人たちは皆、大きな家紋を付けています。この頃の裃の家紋の大きさは、鯨尺で直径一寸五分(約6センチ)。今の感覚だとずいぶん大きく感じます。


ところで、問題なのはこの島津家の家紋。「丸に十の字」。


現代の紋帳の場合、この家紋を探してみますと、「轡(くつわ)」紋として載っています。

轡(くつわ)というのは馬の口にふくませる鉄製の馬具で、「丸に十の字」はほとんどの場合、筆字で描かれています。

もともと、島津家の家紋は、丸のついていない筆字の十の字で、これは1293
年に描かれたとされる「蒙古襲来絵詞」の、島津氏の旗指物に見られる、古い歴史を持つものです。

十の字が家紋に取り入れられた意味はいろいろと考えられていますが、最も有力なものは、沼田頼輔氏が「日本紋章学」で唱えた、「厄除けの呪符である」との説です。
中国の故事に基づいたものですが、世界各国でも十の字は魔よけの意味を持つことが多いようです。

戦乱の時代、旗指物に描かれていた家紋は、平和な時代に入ると裃や調度に描かれることが主となります。
そのためもあってでしょうが、江戸時代になると武家の家紋は、丸輪に収められたものが多くなります。

島津氏の家紋も、丸輪がつき、やがて直線で描かれた、幾何学的な十文字であらわされることが、多くなっていきます。

丸輪と十文字の境は、あるものとないものありますが、「篤姫」ではないものを多く使用しているようです。


このように書くと、ずいぶん変遷してきたようですが、これは、「家紋を変えた」というよりも、平行して使用していたいくつかの家紋のうち、使用法にあった家紋が主に使われるようになっていった、と考えた方がいいでしょう。




参考文献  泡坂妻夫著「家紋の話〜上絵師が語る紋章の美」新潮社、丸山浩一著「家紋由来帳」日栄出版、本田總一郎監修「新集家紋大全」梧桐書院、千鹿野茂著「日本家紋総鑑」角川書店、丹羽基二著「家紋と家系事典」講談社、加藤秀幸解説「別冊歴史読本 日本の家紋6000」新人物往来社、大隈三好著「家紋辞典」金園社、澤等監修「イラスト図解 家紋」日東書院 他(順不同、敬称略)


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